8/17/2014

三度目の正直

『−−−−−行かないでっ!』

初めてのキスは、『天上鬼』の姿を見られてしまったイザークが去ろうとするのを引き止めたい一心で、ノリコから。

『これは義務感で言ってるんじゃない!』

二度目は、イザークにこれ以上の負担をかけたくなくて、身を引き裂かれる思いで彼の前から立ち去ろうとしたノリコに、本当の気持ちを伝えるためにイザークが。

そして−−−−−。


********

セレナグゼナの占いの館が崩れたどさくさに紛れて首都を去り、また二人きりでの旅が始まって、数週間が過ぎようとしていた。

占いの館を全壊させた『化け物』の行方を捜そうする追っ手がかかるかもしれないとの警戒から、ふたりは、人通りの多い大きな街道を避け、ほとんど誰も通らないような山道を、隣国のモバラチナに向かって辿っていた。

特に行く宛もない旅なので、急ぎ向かわなければならない目的地があるわけでもない。
ふたりはゆっくりと進んだ−−−−『天上鬼』と『目覚め』としての、自分達の運命から逃れる方法を探して。


「今日は暑いねー」

イザークの手を借りて少し急な斜面を登りながら、ノリコがふうっと小さく息をついた。

「夏だから当たり前だけど」

「−−−大丈夫か?ここを過ぎたらしばらく平地だ。休憩しよう」

「うん、平気」

気遣わしげに見下ろしてくるイザークを見返し、ノリコはニッコリと笑った。

「それにしても....どうしてこんなケモノ道みたいなとこを通ってるの?人目につかないようにっていうのはわかるんだけど、さっきのおじいさんから何か新しい情報でも入ったの?あたしの気のせいかな?なんか急に方向転換したような気が....」

今朝、食料補給のために立ち寄った山間の小さな村。衣料品を売ってくれるというおじいさんと何やら話していたイザークは、村を出たあと、モバラチナへと続く道ではなく、ほぼ90度方角の違う山奥の小道を選んで進んでいた。

夏の盛り。木々が生い茂り木蔭が続く山道とはいえ、近くに水脈でもあるのか、湿度が高く、歩いているだけで肌が汗ばむ。

いつもの調子でペラペラと喋り続けるノリコに答えるでもなく、イザークは黙って先を歩き続けた。



「−−−少し休もう」

斜面を登りきって少し見晴らしの良い高台に出たところで立ち止まり、イザークはノリコを促して巨木の木蔭に座らせた。荷袋から水筒を取り出して差し出しながら、ノリコのすぐ横に自分も腰を下ろす。

「ありがと、イザーク」

手渡された水筒を両手で握り、コクコクと喉を鳴らして水を飲んでいたノリコは、すぐ横からじっと自分をみつめているイザークの視線に気づいて、何気なしにイザークを振り返った。

視線がかち合った途端、まるで悪戯を咎められた子供のように、イザークがバッと不自然なぐらいの勢いで顔ごと目をそらす。

「.....?」

どうしたのだろう。

そういえば、最近同じようなことが何度もあるなあ。でも、セレナグゼナであたしのこと避けてた時とはちょっと様子が違うしなあ...と考えながら、ノリコはじぃーっとイザークの横顔を見つめ続けた。もちろん、イザークはそれと知りつつ、そっぽを向いたままだ。

「−−−イザーク、何かあたしに言いたいことでもあるの?」

「あ、いや....」

キョトンとした表情のまま問うてくるノリコをやっと振り返ったイザークの頬は、なぜか少し照れたように赤くなっていた。

「イザーク?」

小首を傾げて、ノリコが身を乗り出す。

「最近ちょっと様子が変じゃない?何かあたしに隠し事とかしてることない?」

「いや−−−−なんでもない。ノリコが気にすることはない」

否定されればされるほど、余計に怪しい。

眉をへの字に曲げて、さらに身を乗り出してきたノリコを避けるように、イザークはすっくと立ち上がった。

「−−−−この近くに、ノリコに見せたいものがあるんだ」

話題を変えられたことは明らかだったが、言いたくないものを無理に訊いても...と気分を切り替えて、ノリコは小さく肩をすくめてから、イザークを見上げた。

「見せたいもの?」

小首を傾げるノリコを見下ろし、イザークはいつも通りの優しい笑みを口元に浮かべた。

*****

「見せたいものって...これのこと?」

しばらく歩いて辿りついたのは、大きな岩盤の下がドーム状にくり抜かれて穴のようになった場所にある小さな泉だった。青く澄んだ水は非常に透明度が高く、かなり深いのに、底のほうまでくっきりと見えている。

「わー、すっごくきれい....」

水辺に座り込んで中を覗き込み、ノリコは感嘆の声を上げた。

「こんなに透明度の高い泉って初めて....。これを見せに連れて来てくれたんだ」

「陥没穴に雨水や地下水が溜まってできた天然の井戸みたいなものだ。この地方にはいくつかこんな場所があると聞いていたから、さっきの老人に場所を知らないか聞いてみたんだ」

ノリコの隣に立ち、肩の荷袋を地面に下ろしたイザークは、袋の中をごそごそと探したあと、ノリコにさっきの村で入手したばかりの服を差し出した。

「なに?」

「水着だ。−−−ノリコに本当に見せたいものは、この泉の奥にある。水に潜らないと、辿り着けない場所だからな。あっちの茂みで着替えてくるといい」

「み、水着?」

差し出された服をみつめたまま、大きく目を見張ったノリコを見て、イザークが少し不思議そうに小首を傾げた。

「水に潜るのに、そのままの格好では困るだろう」

「あ、うん、それはそうなんだけど....。こっちの世界に来てから、泳いだこともなければ、泳いでる人を見たことなかったから....」

「−−−−まあ、確かにそういう機会はなかったな。だが、別にこれまでも川や湖で水浴びはしてきただろう。まさか泳げないというわけでもあるまい?」

「あ、でも、それはどっちかというとお風呂の代わりだったわけで....。いえ、別に、泳げないわけじゃないんですけどね、イザークの前で水着姿になるというのもちょっと抵抗が....」

ごにょごにょと独り言のように呟きながら、差し出された服を両手で受け取り広げてみたノリコは、それがどちらかというとノースリーブの膝丈ワンピースのようなスタイルのものであることに気づいて、はた、と口を閉じた。

「あ、こっちの水着ってこういうのだったんだー」

考えてみれば、こちらの世界ではスカートの下にもズボンをはくのが普通なぐらい、女性の服装は保守的なのだから、そんなに露出度が高いもののはずがなかった。

「よかったー」

あからさまにホッとした様子で肩の力を抜いたノリコの姿に、イザークの頭に素朴な疑問が浮かぶ。

「....向こうの世界では、どういったものを水着にしているんだ?」

「あ、あのね、あたしはもちろんスクール水着しか着たことないんだけど、学校外だと、皆ビキニが多いかな。だから、ついこれもそういうのかと勘違いしちゃって....」

「ビキニ?」

「....こういうやつ」

口で説明するよりも早いと思い、ノリコは近くに落ちていた小枝を拾い、しゃがみ込んだすぐ横の地面にシンプルな人形の絵を描き、そこにビキニの上下を書き足していった。
途端、横から覗き込んでいたイザークがかっと真っ赤になり、後ずさる。

「そ、それは....」

「いや、うん、だから、あたしの早とちり....」

「ま、まさかノリコもそういうのを着て−−−−−」

「ないない」

スクール水着だってば。
思わず突っ込んでしまいそうになり、ノリコは膝を抱えて座り込んだ姿勢のまま、きゃらきゃらと笑った。その笑顔につられて、イザークも余裕を取り戻し、いつも通りのクールな表情に戻る。


*****


「おまたせー」

茂みで水着に着替えてノリコが泉に戻ってくると、イザークはすでに上半身裸の状態で、腰まで水の中に浸かっていた。いつもの夜着の上着を脱いだような格好だ。

「.....」

着替えた服をほかの荷物と同じ場所に置いてから水辺へ近づいたノリコは、泉の中に静かに佇んでいるイザークの姿を見て、思わずドキリとした。

カルコの町で怪我をした時や、セレナグゼナで天上鬼の姿から元に戻った時など、同じように上半身裸のイザークの姿を見た事は何度もあるのだが、こういったふたりきりのシチュエーションで、青く澄んだ泉の水に濡れたイザークの姿はやけにセクシーで、ついつい意識してしまう。

自分の胸の高鳴りに気づいてドギマギしながら水辺で立ちつくしてしまったノリコを知ってか知らずか、イザークは、両の手でゆっくりと水を掻きながらさらに泉の奥−−−岩盤壁の壁際まで進んだ。

「−−−−中を確かめてくるから、そこで待っていろ」

「え?」

言うが早いか、すでに肩まで水に浸かっていたイザークは、すぅっと深く息を吸い込んだかと思うと、そのままスッと泉の中に潜って見えなくなった。

「イ、イザーク?!」

小さな部屋ぐらいの大きさしかない泉は、透明度が高く隅から隅まできれいに透き通って見えるのに、岩盤壁間際の下層部分は濃紺の闇に包まれている。

その奥にイザークが消えたのだということだけはわかるのだが、何を確かめに行ったのかもわからず、ノリコはひとりぽつんと残されて呆気にとられてしまった。



(ど、どうしよう.....)

なかなか戻ってこないので、だんだんと不安になってきた頃、やっとイザークが水面に浮上してきた。

「イザーク!」

ホッと胸を撫で下ろしたノリコに、濡れた前髪を無造作に搔き上げながら水辺まで近づいてきたイザークが、すっと右手を差し出す。

「−−−思った通りだった。ノリコ、行くぞ」

「えっ....ど、どこへ?」

水も滴る良い男としか表現できないイザークにドキドキしながらも、訳が分からず不安がるノリコに、イザークが柔らかな笑みを口元に浮かべた。

「来ればわかる。大丈夫だから」

「え、でも....あ、あたし、水泳って実はあんまり得意じゃないし−−−−」
「なんかそこって真っ暗だし−−−−」

「−−−−大丈夫だ。ノリコは、俺の手を握って任せていてくれればいい。危険なことはさせない。俺がついてる」

俺を信じろ。

今までも、ふたりで色々な危険をくぐり抜けてきた。
その度に、イザークの力強い腕に守られて来た。その彼が大丈夫というのだから、信じないわけにはいかない。

「....うん」

覚悟を決めて、ノリコはイザークの手を取り、少しひんやりとする泉の水に足を踏み入れた。



「ぷはっ....!」

びっくりするほど透明度が高いのに、壁際の下層部は真っ暗で、潜ったところから先は何も見えなかった。ほぼ目隠しされているかのような状態で、ただイザークの手に引っぱられるままに水を掻き、岩盤の下をくぐって浮上してきた先で、ノリコは天を仰いで大きく息を吸い込んだ。

底に足がつかない。両手で水を掻きながらも、薄暗い闇の中で方向感覚がなくなり戸惑うノリコの腰を、イザークの左腕がすっと優しく引き寄せた。

「イ、イザーク....」

潜っていたのはほんの一瞬だった。ここは、先程の泉に面した岩盤壁の向かい側なのだろう。大きな洞窟のようだ。水自体は同じように透明度が高いが、薄暗いために、周囲はよく見えない。

足がつかない深い水の中で、イザークの左腕がノリコの腰を支えてくれている。

いつもの癖で自然とイザークの肩に腕を回して掴まりながらノリコが顔を上げると、イザークは、岩盤壁に突き出た岩に右手で掴まり、自分の背後を見ていた。

「−−−−ノリコ。後ろを見てみろ」

「?」

言われるままに、イザークにぴったりと寄り添った姿勢のままで首を回して後ろを振り返り、そのままノリコは思わず息をのんだ。

「きれい.....」

周囲はほとんど闇に包まれているが、視線の先には、天上の岩の割れ目から差し込んでくる光がまるでカーテンのように帯状に広がり、水面と、水の底まで透き通って見える青い水の中に幻想的な世界を作り出している。

水の透明度が高いために、水と地上の区別さえつけないほどの、美しさ。

初めて見る幻想的な青い景色に、ノリコはただ呆然と魅入った。

「−−−−以前はただの鍾乳洞だったものが、地盤の沈下で水没して、こういった形になっている。奥は光も通さない暗闇だが、入口近くだと、こうして外の光が入ってくる場所があって、珍しい景色が見えるところもあると聞いていたから−−−−」

ノリコにも、ぜひ見せてやりたくて。

「あ.....」

このために、イザークはわざわざこの道を選んでくれたのだ。

「...ありがとう、イザーク!こんな素敵な風景、教えてくれなかったら一生見れなかった....」

優しさが身にしみる。興奮冷めやらぬ様子でイザークを振り返り、ノリコは目を輝かせた。


そして、ハッと我に帰る。

音も吸収されてしまったかのように静かなこの洞窟の中に、今、たったふたりきりでいること。腰まで水に浸かり、お互いに濡れそぼった姿で、息がかかるほどの距離で抱き合っている事実。

(うきゃああああああ〜〜〜〜〜〜〜!!!)

急に恥ずかしさがこみ上げてきて、慌ててイザークの肩から腕を外し、離れようとノリコが身をよじる。が、逆にイザークは、その腰に回していた左腕に力を込め、ノリコの細い腰をさらにぐっと自分の身体に引き寄せた。

「あ.....」

心臓が口から飛び出してしまいそうなほど、大きく跳ねる。
薄暗闇の中では気づかれないかもしれないが、ノリコの顔は耳まで真っ赤になって火照っていた。

「イ、イザーク.....」

イザークの裸の胸に手を突っ張ったまま、ノリコはどうしようもないほどの緊張感にパニックを起こしそうだった。

が。

無言のままじっとこちらを見つめているイザークの瞳を見返した途端、ノリコは射すくめられたように動けなくなった。

(この視線−−−−−)

最近、ふと気づくと、いつもイザークがこの視線を向けてきていた。
何か言いたそうにわずかに開かれた唇と、瞳の奥を覗き込んでくるような視線−−−−。

(これ......)

心臓はまだバクバクと激しく高鳴っているのに、まるで急に防音室にでも放り込まれたかのように、周囲の音が掻き消える。

目に入るのは、熱い視線でこちらを覗き込んでくるイザークの顔だけ。その漆黒の瞳にみつめられて、息苦しいほど緊張するのに、決して嫌ではない。

「......」

腰に回された左腕。脇にかかった指先に力が入り、これ以上はないというほど、引き寄せられる。濡れた薄手の布一枚を通して、お互いの心音が重なり合う。

冷たい水の中で寒いはずなのに、身体が芯から熱くなる....。

「イザ..ク....」

突っ張っていたノリコの腕の力が抜けるのにあわせて、無言のまま、イザークの顔が、ゆっくりと近づいてくる。

わずかに開かれた形の良い唇が、何か言いかけたノリコの唇に触れる直前、イザークの漆黒の瞳が静かに閉じられた。つられたように、ノリコも目を閉じる。

やわらかい、唇の感触。

三度目、なのにまるで初めてのキスのように、ノリコは目を閉じたまま、小さく震えた。

(イザーク......)

相手を引き止めるための手段でもない。
自分の思いを証明するためのものでもない。

ただ、愛しさに溢れてする、初めての、キス−−−−−。

このまま時間が止まってしまえばいいのに、と、真っ白になっていく頭の中でノリコは呟いていた。


**************

<あとがき>

......急にスミマセン。

でも、このふたりのことだから、思いが通じた途端にスムーズにラブラブ状態になるとは考えにくく....。しかも、最初の2回は切羽詰ってのことだったので、合意の上(?)でのキスができる状態に持ち込むのに、たぶんイザークがまたグタグタしたんじゃないかなあ、と(笑)

ちなみに、ふたりが潜って見た洞窟の奥の景色というのは、メキシコにあるセノーテという水没した鍾乳洞がモデルになっています。私自身、昔カンクーンの近くでスキューバに行った場所で見たもので、今でも鮮やかに景色が思い出せるほど、神秘的で素敵な場所でした。ので、その情景を思い浮かべながら書いてみました。

7 件のコメント:

  1. 拍手ボタンは…!
    拍手ボタンはどこにあるのですかあああ…!?
    88888888888888888888888888…(以下略)

    返信削除
    返信
    1. ははは。コメントありがとうございます!
      携帯から読んでいただいてると、拍手ボタンは見えないんですよね。しかも、この拍手ボタン、押していただいても、しばらくすると数が0に戻っていくという.....(泣)ので、あんまり役に立たないのですが、こうやってコメントいただけると非常に励みになりますし、ありがたいです。ありがとうございます。

      削除
  2. 素敵…本当に素敵♡
    そして、上の方に激しく同意です♪
    拍手ボタンはドコっっっ
    こんなイザークとノリコを読みたかったのです♪幸せです〜♡♡♡
    これからも是非また素敵な二人をお待ちしていますっ!

    返信削除
  3. 最近、「彼方から」を初めて知り、全巻一気読みして
    こちらに辿り着きました!
    もう最高です!!!
    こちらも読破させていただきます!
    素晴らしい作品を公開して頂きありがとうございます!

    返信削除
  4. ゆんちゃん2019年11月1日 10:08

    こんばんは。
    私も最近一気読み(大人っていいですね)した者です。
    本当によい作品で、続きを作られてる方いないかと
    思ってたどり着きました。
    少しずつ愛を育んでいく様子がキュンキュンします。
    素敵な続編をありがとうございます。

    返信削除
  5. やっぱり、このお話も大好き!!
    そうですよね。牛を持ち上げてきて軽くキスが出来るほどの間柄になるには、このお話が間に入っていたはず!!
    ここのお話と原作を交互に時系列で読み進めるのが、今の私の秋の楽しみ方です♬

    返信削除
  6. やっぱり良いですよねーこの作品。連載終了後も色んな方の作品も読めて嬉しいです。

    返信削除