10/24/2013

心変わり

とある漁港の小さな町。

東大陸に渡るため、明日はこの町でアゴル達と落ち合うことになっている。

町の大通りでは、朝早くから市が開かれていて、小さな町なりにかなりの活気だ。
アクセサリーや小物の店も出ていて、キョロキョロと周りを見回すノリコの目が輝いている。

やはり女の子だな、とイザークは微笑ましく思う。

少女と出会う前までは極力人との関わりを避けて生きてきた青年には、賑わいのある市など、人の集まる場所はあまり得意ではなかった。必要に応じて買物に出ることはあっても、今日のように、特に用もなく市を眺めて歩くことなど、以前なら想像もしなかったのに。

「わー、きれいー」

すぐそばの店先に並んでいた青い首飾りを手に取り、ノリコが嬉しそうにイザークを振り返る。差し込む陽にかざすと、真っ青な硝子の小さな珠が一層キラキラと輝いた。

「見て、イザーク!この色、とってもきれい!」

「−−−欲しいのか?」

「あ、ううん!違うの。色がとってもきれいだから、イザークにも見てほしかっただけ」

少女が自分から物を欲しがることなど、ほとんどない。

ちょっと照れたようにうふふ、と笑い、ノリコは手にしていた首飾りを店主に返し、「ありがとございました」と小さな声でお礼を言った。

(首飾りぐらい、買ってやれるのに...)

たまには何かねだってくれてもいいものを、と少し寂しく思わなくもなかったが、それがノリコなのだから仕方がない。

既に次の店先へと移動しているノリコを目で追いつつ、イザークは小さく苦笑した。



「♪♪♪−−−−!」

かすかにハミングなどしつつ、軽い足取りで歩いていたノリコが、急にふと立ち止まった。
まっすぐに前を見たまま、動かない。

背後からでもいつもと様子が違うことに気づいて、イザークは小走りにノリコに追いついた。

「−−−ノリコ?」

立ちつくす少女の左側から、顔を覗き込んでみる。

イザークの呼びかけには答えないまま、少女の眼差しは、2軒ほど先の魚を売る店に向けられていた。いや、正確には、その出店で魚を売っている青年の姿に。

「−−−−−!」

柔らかそうな栗毛の髪に、人懐っこい笑顔。
見覚えのある顔ではない。少なくとも、イザークにとっては。

「いらっしゃい、いらっしゃーい!今朝とれたばっかの新鮮ぴちぴちの魚だよっ!安くしとくよっ!さあさあ、寄っといでー!」

店の前を行き交う人達に向かって、手にした魚を見せながら威勢のいい声をかけている青年。年は自分より少し上ぐらいか。

その声を聞き、青年を見つめているノリコの顔に、なんとも言えない嬉しそうな笑顔が浮かんだ。

「....」

ノリコの右の手のひらが、ゆっくりと少女の左胸の上に添えられた。まるで、跳ね上がる心臓の音を抑えようとするかのように。

青年の顔をみつめたまま、無言で店へと引き寄せられていく。

その肩に手を伸ばしかけて、立ち止まる。
イザークの胸が、不意に、ずきん、と痛んだ。

「−−−−−−」

ノリコが、自分以外の誰かを、そんな眼差しで見たことは初めてだった。

なんにでも一生懸命で、誰にでも優しいノリコ。そんなノリコに対し、これまでも好意を持つ男がいなかったわけではない。親しげにノリコに話しかける男達に、苛立たしく思ったことも幾度もあった。

だが、そんな時でも、ノリコの心がどこにあるかはわかっていた。
わかっていたから、こんなふうに心騒ぐことはなかったのに。

イザークの漆黒の瞳が、ふっと翳る。

忘れかけていた、暗い不安の影が足下からじわじわと這い上がってくる感覚。無意識に、イザークは両の拳を握り締めて立ち尽くした。

−−−−そこへ。

「−−−−...ク。イザーク?」

名を呼ばれ、ハッと我に返ると、愛しい少女が前に立ち、袖口を軽く引っ張っていた。

「ノリコ....」

「ねえねえ、イザーク。あれ、買ってもいーい?」

いつもなら、イザークのちょっとした変化も見逃さないノリコだが、瞳を翳らせ立ち尽くすイザークの様子にも気づかないほど、浮かれている。

「?」

愛しい少女に気づかれないようにと、急いで気を取り直しつつイザークが顔をあげてみると、ノリコは、先程の魚屋の青年のほうを指差してニコニコしていた。

「−−−−何だ?」

「魚。買ってもいーい?」

「あ、ああ...」

まだよく状況がわからないままイザークが頷くと、ノリコは嬉しそうににこっと笑って、また魚屋のほうへと駆けていった。

いつもは何も欲しがらない少女が。
自分から、青年のもとへと。

(......)

言い様のない、不安。
胸が、痛い....

そんなイザークの思いには気づきもしないノリコは、青年となにやらやり取りをした後、油紙の包みを持ってイザークの元へ戻ってきた。

「おまたせー♪」

いつもと変わらない、明るい口調。やけに機嫌がいい。

はい、と何の気なしに包みをイザークに手渡すと、そのまま、イザークの右腕に自分の腕をからめて歩き出す。イザークも、それにつられるように歩き出した。

「お嬢さん、まいどっ!」

魚屋の前を通り過ぎる際、栗毛の青年が元気よく手を振ってくれた。
それに応えるように、ノリコも軽く手を振り返す。

「うふふ...」

魚屋を通りすぎた後も、イザークの腕にくっついたまま、何度も名残惜しそうに振り返るノリコ。

−−−−きっと、ヤツを、見ている。

このまま、何もなかったかのように振る舞おうと努めたイザーク。が。

「−−−−−」

左手に持った油紙の包みに目を落としたまま、ふと、立ち止まる。
つられて立ち止まり、ノリコがイザークの顔を下から覗き込んだ。

「−−−イザーク?どうしたの?」

無表情で包みを見下ろすイザークに、少し心配そうに眉を寄せるノリコ。

「イザーク...?」

「ノリコは−−−−」

ぽつり、と。

「ノリコは、ああいうのが好みか?」

「....はい?」

言われた意味がまったくわからず、ノリコが、キョトンとした声を上げた。

「さっきの店の男。ずっと見ていたな」

「−−−−−−あ。」

やっと。

意味が、わかった。

途端。

「うきゃあああああああーーーーーーっ!!」

ノリコの顔が、真っ赤になった。
途端にあがった素っ頓狂な声に、イザークも驚いて顔を上げてみると。

「ち、ちがうよぉー!そんなんじゃないよぉー!」

ブンブンと勢いよく首を振り、ノリコが、イザークの右腕にまわした自分の両腕にぐっと力を込めた。

「全然そんなんじゃなくて!あのね、あの人、おにいちゃんに似てたの!」

「おにいちゃん...?」

「そう!あたしのおにいちゃん!−−−あっちの世界にいる」

最後の部分だけ、ほんの少しだけ、翳った。

「...全体的な雰囲気が、ね。ちょっとだけ。それに、声がそっくりだったの。ビックリしちゃった」

遠く離れた家族を想ったのか、少しだけ、ノリコの目が遠くを見つめた。

「ちょっとだけ、懐かしかったの。それで、つい...」

そこまで言って、ハッと我に返ったように、ぶんっと勢いよくイザークに顔を向ける。

「あ!だけどっ!あっちに帰りたいとかって思ってたわけじゃないからねっ!そんなこと思ってないからねっ!」

大きな目をさらに大きく見開いて。
ひどく気張った顔をして。

−−−−ずっとそばにいるよ。

あの日の約束は、今も変わらない。
今までも。これからも。

私の居場所は、あなたの隣。

もう一度、イザークの右腕にまわした自分の両腕に、ぐっと力を込める。

「−−−あたしは、イザークが好きなのっ!イザークより素敵な人なんて絶対いないし、ほかの人なんて、あたし全然目に入ってないもん!」

かなりの大声だったため、周囲を歩いていた人達がびっくりして立ち止まる。中には、くすくすと微笑ましげに笑い出す婦人達も。

思わず勢いで叫んでしまったものの、すぐにハッと我に返り、ノリコの全身がぼっと火がついたように赤くなった。

(うきゃああああーーーー!)

恥ずかしさに両手で自分の顔を覆い、ノリコがのたうちまわる。
その横で、イザークは、言葉もなく、ある意味呆然と立ち尽くしていた。

−−−が。

その端正な顔に、ゆっくりと、満面の、笑みが浮かぶ。

(ノリコ....)

ああ、変わらない。

この少女だけは。あの約束は。

「.....」

先程まで感じていた、胸を刺すような痛みが、すーっと掻き消えた。

まだ、恥ずかしさにばたばたしているノリコの細い肩に右腕をまわし、イザークはそっと愛しい少女を抱き寄せた。

「−−−変な気を回して、すまなかった」

少女の耳元でそっと囁き、その額に軽くキスを落とす。

優しげな微笑みを向けてくる青年を見上げ、ノリコも、くすぐったそうにふふっと笑い、逞しい胸に重みをかけた。

「ううん。なんか、嬉しい。イザークもやきもち妬いてくれるんだなって」

幸せそうな笑顔。
短絡的な思考に走ってしまった自分がかなり気恥ずかしくなったイザークは、その笑顔に小さく苦笑いで応えた。

−−−−−と。

一件落着したところで、イザークは、まだ左手に持ったままだった重みに気づいた。
ずっしりとした、割と大きな包み。

そういえば。

どうしろというのだ。この生魚。

「−−−あーっ!」

イザークのその視線に気づいたノリコが、ハッとして。

「ご、ごめんなさいっ!今日は、この町に泊まるんだったよねっ!野宿するわけでもないのに、生魚なんか買っちゃって、ど、どうするのよね、あたし達!あ、あ、ど、どうしよう...」

またまた顔を真っ赤にし、オロオロと慌てまくる。

「おにいちゃん...あ、違う、あの人の声をもっと聞きたかったから、つい....。後先考えてなかったー。どうしよう?も、もう返品とかできないよねっ?あ!宿のおばさんにあげたら、料理してくれるかなっ?ど、どうしよーーーー」

その慌てふためく様子に、イザークがくくっと喉を鳴らして笑った。
さっきまで、この世の終わりのように絶望していた自分が信じられない。

「イ、イザーク?」

意味がわからず、ノリコが下から青年の顔を覗き込む。

「ご、ごめんね。無駄な買い物しちゃったね。ど、どうしたらいいかな...」

イザークに迷惑をかけてしまったと思い込んだらしいノリコは、非常に済まなさそうな顔になっている。

即座にイザークが顔をあげ、ノリコと目を合わせた。

「−−−責任とってもらうかな」

ぼそり、と呟く。

「...え?」

ニッ、と悪戯好きな子供みたいな笑顔を浮かべ。

「−−−今夜は、一緒に風呂に入ってもらおうか」

しらっと。

ノリコの返事を待たずに、歩き出す。
生魚の入った包みを、ノリコに見えるように右手で肩の位置まで持ち上げて。

「...え?」

その場に立ち尽くしたままだったノリコが、目だけでその姿を追う。
何を言われたのかを理解するまでに、少し時間がかかった。

が、意味がわかった途端、少女の顔が、ボンッとこれまでにないほど真っ赤になった。

「ええええ〜〜〜〜〜〜っ?!」

その慌てふためく声を背後に聞きつつ、イザークは、珍しく声を出して笑った。



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<あとがき>

原作のエンディングから1年数ヶ月後、ぐらいのお話のつもり、です。
樹海で二度目の日記をノリコの世界に送って、カルコの町で町長さんにイザークが説教された後、東大陸に渡る前、です。イザーク22歳、ノリコが20歳になるかならないか、ぐらいか?

この時点で、ふたりは知り合ってから2年半近く。付き合い?だしてからは1年数ヶ月?と、すると、この時点までにキス以上の関係に進んでいないのもなにかなー、と思ったりするのですが、まあ、あっちの世界では、結婚するまで一線超えないのも普通だったりするのかなあ、と。でも、この2人の場合、イザークがひとりでぐだぐだ悩んでて手が出せないでいる気がするのは私だけでしょうか??

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