「−−−いまさらだけど、こっちの人って長髪が多いよね」
大きく開かれた二階の窓のすぐ横に置かれた椅子に座り、枠に両肘をついて眼下の大通りを眺めていたノリコが、ぽつりと呟いた。
「−−−−−?」
部屋の中央近くにある椅子に腰を下ろし、剣の手入れをしていたイザークが顔を上げる。イザークがいる位置からは、ノリコの後ろ姿しか見えない。
剣を鞘に納めてそっとテーブルの上に置きながら立ち上がり、イザークはノリコのそばに歩み寄った。窓枠に肘をついて座っているノリコを後ろから覆うような形で窓枠に両手をつき、少し身を屈めて、ノリコのすぐ頭上から同じ方向を見つめる。
「なんのことだ?」
漆黒の長い髪がさらり、と肩からこぼれ、ノリコのこめかみの両脇近くに流れた。まずはその毛先を見、それから、肘をついたままの姿勢でイザークの顔を真下から見上げ、ノリコがふふふ、と笑う。
「どーでもいいことなんだけど。こっちの世界の人って、女の人はもちろん、男の人も、みーんな、髪が長いなぁーって改めて気づいちゃった」
「イザークでしょ。アゴルさん、バラゴさん、バーナダム、ジェイダさん、あのナーダって人もそうだし、ロンタルナにコーリキ....こうやって考えてみると、短髪の人って見かけたことないのよね、実は」
ひいふうみぃ、と指を折りつつ名前を挙げてみて、ノリコは自分でも感心したように言った。
「こうやって町の人達を見てても、すっごく髪が短い男の人って全然見かけないんだもの。これって、向こうの世界だとちょっと考えられないことなのよね、実は」
「−−−あちらでは、みな髪は短く切るものなのか?」
面白いことを考えつくものだ、と内心ある意味感心しつつ、イザークは自分を見上げてニコニコしているノリコを見た。
「そうだね。長髪の男の人って....アニメとか映画とか時代劇とか、あ、そうそう、ロック歌手も。そういうのは別として、普通の人はあんまりしないなー。っていうか、これは日本人だけかもしれないけど、長髪が似合う人ってあんまりいないというか...」
言いながら笑うノリコの口から、聞き慣れない単語がいくつも飛び出してきて、イザークはわずかに首を傾げた。
「『あにめ』?『じだ..い』?」
時折ノリコが教えてくれる異世界の文化や様子は、比較できるものがない自分にはあまりうまく視覚的に想像ができないが、ノリコが生まれ育った世界だというだけで、興味が沸いた。
−−−が。同時に、その度に懐かしげに少し遠い目をするノリコに、知らず心がざわつくのも事実だった。
セレナグゼナでの出来事を経て、やっと自分の心に正直になれた。やっと、ノリコを受け入れることができた。
「天上鬼」と「目覚め」としての自分達の未来を変える方法をみつけるために、こうしてふたりで旅を続けている間にも、時折、今日のように平和な時間を得られることがある。そんなささやかな幸せが嬉しくもある反面、いつ何時、この平和な時間が夢だったかのように、脆くも崩れさるかもしれないという不安は、どうしても消し去れない。
特に、いつかノリコが元の世界に還るかもしれない−−−−そんな不安に時折襲われることのあるイザークにとっては、ノリコが嬉しそうに元の世界の話をするのは、内心、いても立ってもいられないほど不安に駆られる材料ともなった。
それでも、ノリコにそんな気配を悟られるのが嫌で、イザークは無表情を徹底した。
そんなイザークの内面での葛藤などまるで気づかず、ノリコが続ける。
「そういえば、うちのお父さんもちょっと長髪だったなー。でもあれは、作家になってからの単なる不精だし−−−−。おにいちゃんとか、学校の男子とかがみーんな長髪だったら、ちょっと笑っちゃうな。全然似合いそうにないもん」
誰の顔を思い浮かべているのか、口元に手を当ててぷぷぷ、と笑う。
「−−−ノリコが望むなら、髪を切っても構わないぞ」
ふと呟いたイザークに、ノリコがバッと身体ごと窓から振り返った。
「ええええ〜〜〜〜っ???」
その大げさに驚く顔がおかしくて、窓枠から手を外し、まっすぐに立ったイザークもつい笑顔になる。
「髪を短くしておくという習慣がないのも事実だが、別に髪を伸ばしておかなければならない理由もない。ノリコが短いほうが好きだと言うなら、俺は一向に構わないが」
「た、短髪のイザーク....」
呟いたノリコの脳裏に、なぜか、ばっさりと短髪になったイザークが、ジーンズ&プレーンな白いシャツという現代っぽい格好になっている姿がぽんっと浮かんだ。
高層ビル群に囲まれた大きな交差点。きりりとした姿勢で立つ、短髪のイザーク。
(−−−−−に、似合いすぎ〜〜〜〜〜〜!!!)
思わず妄想してしまい、ノリコは、きゃああ〜〜〜っ、と内心大慌てし、真っ赤になった顔を両手で覆った。
「ノリコ?」
「や、やーーーん。だめだめだめ!」
ぶんぶんぶん、と勢いよく頭を振って妄想を吹き飛ばし。
ノリコは、まだ少し赤い顔で、なぜか拳を握りつつ、目の前のイザークを見つめた。
「イザークは、今のままでいいの!あたし、イザークの長い黒い髪が好きだもん!」
かなり力んで声を上げるノリコに、イザークは思わずぷっと吹き出してしまった。
それを見て、ノリコがあ!と叫ぶ。
「イザーク!またあたしの反応見て遊んでた!」
「い、いや、そうじゃないが....」
「もおおお!」
ぽかぽかぽか、と軽く拳で胸を叩かれ、イザークは笑いながら少し後ろに下がった。そして、ノリコの手首をそっと掴む。
「嘘じゃない。ノリコが望むなら、髪を切るぐらいなんでもない」
「え....」
「髪などいくらでも伸びる。そんなに大層なことでもない」
両手首を掴まれたまま、ノリコは眉を寄せ、少し複雑な顔になった。
それを見て、イザークも真顔になる。
「ノリコ?」
「それってやっぱり、イザークも男の人だから、だよ。女にとっては、『髪は女の命』って言うぐらい大事なものだもん。冗談でも、そんな簡単に『髪、切ります』、なんて安請け合いはできないものなんだよぉー」
なぜか少しふくれて答えるノリコに、イザークは軽く苦笑した。
ここまで伸びた髪を切るのだから、男の自分にとっても、安請け合いではないのだが。
逆に、愛する少女が望むのであれば、どんなことでも厭わずやってのける−−−という意思表示のつもりだったのだが、どうやらノリコには通じなかったらしい。
(......)
軽く肩をすくめ、イザークはノリコの手首を放した。
「−−−が、あちらの世界では、女性は普通に髪を短くするのだろう?」
「え?」
「初めてお前がこちらに来た時−−−。樹海で初めて会ったお前の髪は、まだ肩につかないぐらいの長さだった。男と同じように、女性も髪を短くしておくのが習わし、というわけではないのか?」
そうであれば、『髪は女の命』と言うほど、髪を切ることは大層なことではないのではないか−−−。
初めて出会った頃のノリコの姿を思い出しつつ、イザークが何気なしに言った。
ノリコが、ああ、と小さく答える。
「うーん...。確かに、こっちの世界に比べると、女の人もいろんなヘアスタイルがあるし、ショートにしてる人もいた、けど...。やっぱり、女にとっては、髪ってとっても大事よ。髪の長い人が大失恋すると、その思いを断ち切るためにバッサリ短くするっていうのもあるぐらいだもん」
その言葉に、イザークの眉が、一瞬ピクリと動いた。
「−−−−ノリコも、失恋していたのか?」
「え?」
「髪が短かったのは、そのためだったのか?」
(−−−−−−−−−)
言われている意味にノリコが気づくまでに、ほんのわずかな時間差があった。
「えええ〜〜〜っ!違うよぉ〜〜〜!」
気づいて、わずかに顔を赤らめながら、ノリコが叫ぶ。
「あ、あたしのは、そうじゃないよぉー!単にそういうヘアスタイルだっただけで..。第一、失恋して髪を切る場合には、あんな中途半端なボブじゃなくって、もっと短くするのが普通だよぉー」
「そ、そうなのか?」
どうやら自分の早とちりだったようだ、と気づいたイザークも、やや慌てて言葉を返す。
そんなイザークを間近から見上げて、ノリコは笑った。
「−−−あたし、こっちに来るまで、あんまり髪を伸ばしたいって思ったことなかっただけなんだけど...。イザークと出会ってから、ずっと髪を切る機会もなくって..。でも、まるでイザークとの思い出の分だけ髪が伸びてきたみたいで、なんだか嬉しい。このままずっと伸ばしていきたいなって思ったりするの」
うっすら頬を赤らめて、えへっと笑う。
その笑顔にまたも癒される思いで、イザークはすっと右手を伸ばし、今は胸に届きそうなぐらい伸びたノリコの明るい茶色い髪に触れた。
そのまま、ノリコの頭に手を回し、自分の胸に抱き寄せる。
「−−−−俺も、ノリコの長い髪が好きだ」
そっと、その髪に、キス。
イザークの逞しい胸に顔を預け、その背に手を回しながら、ノリコも幸せそうにふふふ、と笑った。
「イザーク、大好き....」
***************
あとがき
また、セレナグゼナでの一件以降、ふたりで逃亡生活をしていた頃、のエピソードになります。私自身、つい先日、イザークの世界の男性はほぼ皆、長髪であることに改めて気づいたところだったので、ついこの話ができあがりました。
あっちでは普通でも、こっちの世界の人がみんな長髪だったら....正直、キモいです。はい。
あと、ラチェフにノリコが髪をざんばらに切られた時、もしこういうエピソードがその前にあったとしたら、イザークが悔しさに涙した理由ももっとよくわかるかな、と思ったり....。
まあ、あくまでも私の妄想です。お許しくださいませ。
ノリコの言動が原作どうりで笑えました。
返信削除皆 長髪ですね 全く気が付かなかったです^^;
ノリコが髪を切られてイザ-クが泣くシ-ンは実はあまり心に響きませんでした^^;
大怪我するよりOKでしょ??ぐらいにしか感じられず。。。。わ、私 女心分かってないのかな^^;
ええっ!そうなんですか?!やっぱり、感じ方ってひとそれぞれなんですねー。
削除実は私、あのシーン、大好きなシーンなんです.....。(^^; いつも泣かない、感情をあまりださない男の人が男泣きするのって、がつんときます。wあのシーン関連で『もうひとりのイザーク』も書いたぐらいだし(自分で宣伝w)。わははは。