西大陸へ戻る途中の船の中。
打ちつける波の音と、左右に心地よく繰り返される揺れの中で目覚めたノリコは、小さな丸い船窓のそばに立つイザークを見つけて、やわらかく微笑んだ。
「....なあに?」
「グゼナへ戻る前に少し立ち寄りたい場所があるんだが、いいか?」
「それはもちろん構わないけど...」
まだ少し眠たげに、目をこすりながら身体を起こす。
その途端、肩からするりとシーツが滑り落ち、明るい陽の光に自分の裸体がさらされ、ノリコは真っ赤になって、うきゃっと小さく声を上げた。
慌てて両手でシーツをたぐり寄せ、ぱふっと枕に顔をうずめて、ベッドの上で猫のように丸くなる。
その慌てぶりがおかしくてクスリと笑いながら、イザークは窓際を離れ、ベッドの端に腰を下ろした。肩からしっかりとシーツにくるまっているノリコの背にそっと手を当て、指先でシーツの端を引っぱりはじめる。
「いまさら....」
まだノリコの抵抗を受けながらも、イザークの指と共にシーツが徐々にずれ落ち、丸くなったままの白い背中が、イザークの目の前に露になっていった。
その肩や背のいたるところに、昨夜イザークがつけたばかりの、薄紅色の印が残っている。その上をたどるように、イザークが無言のまま軽くキスを落としはじめると、その度にぴくん、ぴくんと敏感に反応し、ノリコがかすかな吐息を漏らした。
「イ、イザークって....」
もう腰の近くまでシーツが下がり、無駄な抵抗だと自分でもわかっているのに、まだ必死にシーツの端を両手でしっかりと握りしめたまま、枕に顔を押しつけたノリコが漏らす。
「あ、あれ以来、すっごく性格変わった、かも....」
−−−−もう半年以上も前、アイビスクに渡る前の港町での一夜。
思いが通じてからもずっとノリコに触れることができずにいたイザークが、遂に自分の思いに正直に、ノリコを抱いた、あの晩。
あれから、数えきれないほどの夜を共にしてきたのに。
その行為の最中には、いつもは見せない『女』の顔をイザークにだけ見せつつも、次の日の朝には、まるでその激しい抱擁自体がすべて夢だったかのように、ノリコは、素肌をイザークの目に晒すことさえ恥ずかしげに顔を朱に染めた。
ノリコらしい、と言えばそうかもしれない。
いつまでも無垢な少女のような反応を見せるノリコに、逆にイザークは愛しさが増し、欲情させられることのほうが多かったが。
「−−−−−最初に誘ったのは、ノリコのほうだぞ」
性格が変わったわけではない。もう我慢する必要がなくなっただけだ。
熱を帯びたノリコの肩に、首筋に、キスの雨を降らせながら、イザークが少し悪戯っぽく呟く。
「ううぅ.....」
そう言われてしまうと、身も蓋もない。
耳まで赤くなりながら、ノリコは観念したようにくるりと身体を反転し、今は自分の上に覆い被さるように両手をついて座っているイザークを見上げ、その首に腕を回して抱きついた。
「イザーク、ずるい.....」
ノリコの指を離れ、シーツが、するりと寝台に落ちた。
******
「−−−寄り道って、ここだったの?」
大きな木々の枝が網のように重なりあって、まるでドームのように空を覆っている。
初めて『飛ばされて』きた時は、薄暗く、ただならぬ雰囲気があったが、今は、木漏れ日が降り注ぎ、穏やかな春の日のような暖かさだ。
キキキキッと遠くで小動物の鳴き声が聞こえる。
差し込む陽の光に右手をかざしながら、ノリコが立ち止まり、顔をあげた。
「前回もそうだったけど...もうすっかり花虫もいなくなって、まるで別の場所みたいだね」
西大陸に到着した後、先にグゼナへと向かったアゴル達と別れ、イザークがノリコを連れてきたのは、東大陸に渡る際にも立ち寄っていた、金の寝床がある樹海だった。
「あれから半年だし、まだあんまりたまってないんだけど...」
イザークの後について迷路のようになった木の根の小道を歩きながら、ノリコは首を傾げた。聞こえなかったのか、イザークはそのまま黙って歩き続けている。
しばらくして、ノリコの目に、懐かしい金色の苔が生い茂った場所が目に入ってきた。
肩からかけていた鞄から、チモが顔を出してチチチッと鳴く。
イザークは、金の寝床を屋根のように囲っている、ひときわ大きい大樹の根の一本に手をかけてから、すぐそばに立つノリコを振り返った。
「イザーク?」
「うん、そうだね...」
イザークの真意が量れず、なぜ急に...と少し不思議に思いつつも、ノリコは、鞄の中から、日記として使っていた書紙の束を取り出した。
(だったら、もう少し書き足しておけば良かったかな...)
この半年のほとんどを過ごしたアイビスクの国でも、色々と話題になることがあったので、わりと頻繁に書き込んできた。が、前回向こうに日記を送ってもらった直後にイザークとの仲が急激に進展してしまい、さすがに、ノリコもその詳細には触れていない。
(やっぱりお父さん、ショック受けちゃうかも....)
結婚の報告ともなれば多くは語らずともわかってもらえそうだが、顔も見たことがない、しかも異世界の恋人と娘の仲については、やはり家族としてもあまり詳しくは知りたくはないかもしれない。
(結婚、だったら....)
ふと、その二文字が頭をかすめ、ノリコは、ぼんっと真っ赤になった。
うきゃあ〜〜〜っと内心かなり動揺しつつも、必死に平静を装い、日記を両手でイザークに差し出した。が、イザークの顔がまともに見れない。
「〜〜〜〜じゃ、よろしくお願いします」
「−−−−その前に、これを」
恥ずかしくて、自分の手にした日記に目を落としていたノリコは、その書紙の上に小さく四つ折りになった紙きれをぽん、と置かれて首を傾げた。
「何?」
「−−−ノリコの家族に手紙を書いてみた。俺にはあちらの世界の言葉はわからないから、訳して、ノリコの日記と一緒に送ってくれないか」
「えっ??」
予想外の展開に目を丸くしつつ、ノリコは、渡された紙切れを手に顔を上げた。
イザークが、いつものポーカーフェイスのままで、口の端だけを上げてにこりと笑う。
「−−−頼めるか?」
「あ、うん....」
突然のことに驚きを隠せないまま、ノリコは、鞄の中からいつも使っているペンを取り出し、どこか座るのに良い場所はないかとキョロキョロと周囲を見回した。
目の前には、ふかふかの金の苔が生い茂った『金の寝床』。
ちょうどいいかも、と呟き、ノリコは、トコトコとその中央まで歩いていって、よいしょ、と腰を下ろした。イザークは、先程と同じ根のそばに立ったまま、少し離れてノリコを見守っている。
「えっと....」
こちらの言葉はうまく話せるようになったとはいえ、書物を読むほうはまだ少し自信がない。膝の上で日記の最後のページを開き、一旦はペンを握ってすぐに翻訳を始めようとしたものの、まずはひとりでちゃんと解読できるかどうかを確かめようと、ノリコは、渡された紙切れを両手で開いて日記の上に置いた。
「どれどれ....」
イザークが、自分の家族に手紙を書くなんて初めてのことだ。
自分でも興味津々で、ノリコは、見慣れたイザークの文字を目で追い始めた。
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ノリコの家族へ
本来ならば直にお会いして話すべきことだが、それが適わない今、
こうして手紙で代わりとすることを許していただきたい。
慈しみ育ててこられた娘を突然失われたあなた方に対し、
このようなことを言うのは大変失礼だとは思いつつも、
敢えて言わずにはいられない。
ノリコをそちらの世界に還すことは、もうできない。
申し訳ない。
ノリコは、自分の半身だ。たとえ身勝手と言われようとも、
もう彼女を手放すことは自分にはできない。
何も知らずにこの世界にきたノリコを、これまでずっと守ってきたと
思っていたが、実際には、自分こそが彼女に守られてきたのだと、
今では実感している。
ノリコがいたからこそ、こうして今の自分がある。
感謝する。
ノリコを今のノリコに育てていただき、心から、感謝している。
遠く離れたあなた方に代わり、これからは、自分がノリコの家族に
なりたいと思っているが、それは許されることだろうか?
本来ならば、あなた方にも出席していただいてこその婚礼なのだろうが、
今はそれが適わない。
が、いつか、この世界の光の力が十分になったら。
いつか、ふたつの世界が自由に行き来できるようになったら。
その時は、必ずノリコと共に、そちらの世界に挨拶に行きたいと思っている。
だからそれまで、待ってはもらえまいか。
それまでは、自分がノリコの家族として、
彼女を守っていてもいいだろうか。
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「あ−−−−−」
膝の上に置かれていた手紙の上に、ぽとん、と大粒の涙が落ちて、イザークの手書きの文字が滲んだ。
ノリコが、顔を上げる。
その瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出る。
それまで大木の根に軽く寄りかかっていたイザークが、ゆっくりと、ノリコに近づいてきた。
「ノリコ−−−−」
言葉もなく、手紙を両手で握ったまま、涙でいっぱいになった目で見上げたノリコの前で、イザークが片膝をつく。
わずかに背を丸め、目線の高さを合わせ、ノリコの左手を自分の右手で取り−−−−。
「−−−ノリコ。俺の妻に、なってくれるか?」
「あ−−−−−」
いつか、そうなったら....。
密かにそんな願いがあった。でも、まさか本当にこんな日が来るなんて。
さらに溢れてくる涙に喉が詰まり、ノリコは言葉も出ない。
イザークが、真剣な眼差しのまま、続ける。
「−−−−三年前、すべてはここから始まった。ここでノリコと出会い、「天上鬼」としての俺の運命が大きく変わった。お前にも、何度も苦しい思いをさせた。泣かせてしまった。それでも、あの日の誓い通り、ずっと俺のそばにいてくれたお前には、感謝の言葉さえみつからない」
「イザーク....」
「俺にはなにもないが−−−−それでも、お前を幸せにしたいと思う気持ちだけは本物だ。これからも、お前と一緒に生きていきたい。俺のために自分の世界を捨てて残ってくれたお前の、家族になりたい−−−−」
いつになく雄弁なイザークの右手には、いつの間にか、蒼銀色に輝く細い指輪が握られていた。そこに刻まれた、『永遠』を意味する文字。
永遠に、俺のすべては、君のもの−−−−。
「愛してる−−−誰よりも」
静かに、だが宣誓するようにはっきりとした口調で語りかけ、イザークは、ノリコの左手の薬指に指輪をすべらせた。
「これ....」
じっと自分の左手をみつめて、ノリコは目を見張った。
ノリコが知っている限り、この世界では、婚約の際に指輪を贈る習慣は、ない。
「どうして....」
「−−−ジーナハースに聞いた。向こうの世界では、結婚を申し込む時にこれを贈るのだろう?」
「ジーナに...?」
イザークに言われて、やっと思い出す。
もう何ヶ月も前。アイビスクの城下町で、クレアジータ達の警備役として隣国への同盟交渉の旅に出かけていたイザークとバラゴを待ちながら、アゴルとジーナハースのふたりと一緒に町に出かけた際、偶然見かけた、婚礼の様子。
自身の目で見ることは適わないジーナの目の代わりになって、花嫁が着ていた婚礼衣装のデザインや、感極まって涙ぐむ花婿の様子などを説明していた時に、ジーナに尋ねられ、元いた世界での結婚式がどんなものかを説明したことがあった。
そういえば、その流れで、婚約する時はどうするの?と訊かれたような記憶がある。
一体いつの間に....。
しかも、指輪のサイズが合っているところが心憎い。
「−−−−−給金の三ヶ月分、というわけにはいかないが、な」
イザークが少し悪戯っぽく笑う。
すでにノリコの指にしっくりとなじんでいる指輪を、自分の指先で愛しげになぞり。
イザークは、ノリコの右手も取り、その両手を握る手に力を込めた。
「結婚、してくれるか?」
もう一度、顔を覗き込んで問いかけられ、ノリコは、弾かれたようにイザークの胸に身体ごと飛び込んでいった。
「わっ!」
その勢いに押され、バランスを崩したイザークと共に、金の寝床に倒れ込む。
いくつもの小さな金の胞子が、2人を囲んで波のようにふわりと宙に舞った。
「はい....」
震える声が胸元から聞こえ、イザークは、愛おしげにノリコの頭をしっかりと抱き寄せ、ふかふかの金の胞子の寝床に身体を預けた。
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あとがき:
.....かーなりベタで、申し訳ありません。
でもきっと、イザークのことだから、元の世界の家族にもきっちり筋は通したいと思うだろうなー、なんて考えてたら、こういうことになってしまいました。スミマセン。
「−−−−−最初に誘ったのは、ノリコのほうだぞ」
返信削除性格が変わったわけではない。もう我慢する必要がなくなっただけだ
ここの文、好きです^^
両親への気遣い、プロポ-ズ!!いい男ですねえ イザ-ク。。。
誠実さが伝わってきました。
二人が初めて出会った場所で素敵な情景が見れて良かったです^^
にゃんたろさん、いつもありがとうございます!
削除そうですね、結構、我慢する必要なくなったら、イザークもがんがん強引に行きそうな感じですよねw
結婚式とか、その後の様子とかも、色々頭の中でまとまってきているので、これからも書いてみたいです。やっぱりコメントいただけると頑張り甲斐があります。これからも読んでいただけると嬉しいです。