「....」
簡素な作りの小さな湯船に肩まで浸りながら、ノリコは小さく溜息をついた。
まだそれほど遅い時間ではないはずだが、隣に数室続いたほかの浴室には誰もいないのか、あたりは不思議なほど静まりかえっていて、聞こえるのは、ゆっくりと湯の中で動くノリコの腕の動きに合わせて跳ねたかすかな水音だけ。
『−−−大丈夫だから。行ってこい』
軽く肩を押して送り出してくれたイザークの穏やかな笑顔が、再び脳裏に浮かぶ。
『昼間のことは冗談だ』
ぽんぽん、と幼子をなだめるように頭に置かれたイザークの手。
目も合わせられないほど胸をばくばくさせていた自分の気持ちにはきっと気づきもせずに、おそらく彼は、今頃町へ買い出しに出かけてしまっているのだろう。
このまま待っていても、きっと無駄−−−−−。
そうわかっていながらも、ノリコは、湯船から出るふんぎりが着かず、逆に、顎の下まで湯に浸かった。
(イザーク....)
あまり強く想ってしまえば、離れていても心が彼に伝わってしまう。そうすれば、どこにいても、彼はきっと飛んできてくれるに違いない。
でも。
ただ呼びかけに応えてほしいわけじゃない。
大丈夫かと気遣ってほしいわけでもない。
(イザーク....)
目を閉じて。
気づかれないように、そっと、想う。
(イザーク....)
脳裏に浮かぶのは、そっと伸ばされてくる左腕。
広い手が後頭部にまわり、少し骨張った長い指先にほんのわずかに力が入って、でも、まるで壊れ物を扱うかのように優しく抱き寄せられる。
『ノリコ』
優しく耳元で囁かれる声に、いつもホッと安堵させられる。
そっと真綿に包むような優しさで抱擁され、彼の鼓動を間近で聞き、守られていると実感する。
そして唇が触れ合った瞬間の、至上の−−−幸福感。
の、はずなのに。
最近特に、何かがおかしい。
その広い胸に抱き寄せられ、髪が−−−吐息が−−−肌に触れるたびに。
自分とは違う、草原のような匂いが鼻腔をくすぐり、ざわざわと胸騒ぎがする。身体の奥底から、説明の付けがたい波がじわじわと沸き上がり、胸の奥から指の先へ向かって微弱な電流を放つように広がっていくのだ。
「〜〜〜〜〜〜〜」
ノリコ自身にも、その理由はなんとなくわかっていた。
でも、どうにも気恥ずかしくて、どうしても認められずにいたのだけれど。
今日、イザークにからかわれて、やっと自覚した。
ただ、守られるだけでなく。
ただ、優しく包まれるだけでなく。
激しく。
我を忘れるほどの激しさで、息もつけないほどにきつく−−−−。
抱きしめたい。
抱きしめてもらいたい。
(あたしを、『欲しい』と思ってほしい−−−−)
「〜〜〜〜〜〜〜!!」
言葉にならない思いにうきゃーーーっ!と、ひとり赤面しつつ、ノリコは、今度は鼻下までざぶん、と湯に沈んだ。
****************
<あとがき>
...ご無沙汰しております。最後のエントリーって、もしかして8月末でしたっけ?
いつも最低月1のペースでは書いていたつもりなのですが、ここのところかなり滞っていましたね。申し訳ありません。
実は、本業のほうで非常にストレスの溜まるプロジェクトをいくつか抱えており、精神的・肉体的にボロッボロでした。そのせいで、書きたい、書きたい、と思っていても、実際にキーボードに向かうことが出来ずにいました。
でもその間、心配してメールくださった方々、本当にありがとうございました。書いてませんでしたけど、皆さんからのメッセージ、とってもありがたかったです。
えーと、やっと泥沼から抜け出したので、また精神的に書く余裕が出てきました。ただ今回はブランクもあったので、ちょっと『なんじゃこれ?!』的なショートになってしまっております。ご了承ください。
『迷い子』のほうも、続き頑張ります。
この、『束縛』のエピソードをノリコの視点から見たもの、ちょっと前から書きたいなーと思ってたのですが、なかなか書けずにいたので、今回、ちょっと触りだけ、ショートとして書いてみました。この先も続けてちょっと書いてみるかも、です。次にこのエピソードにアクセスしたら、長くなっている可能性も???www
とりあえず、ただいま。
Mbird様…お帰りなさいませ。久しぶりにお話が読めて嬉しいです。きっとすごくお忙しいのだろうと思い(事情も様々でしょうし…)メールはしませんでした。でも毎日チェックしながら楽しみにお待ちしてました。
返信削除体に気を付けて、これからも書き続けてください。
リョウさん、
削除ご無沙汰しています。毎日チェックしてくださっていたとのこと、恐縮です。
なかなか思うように書く時間が取れずにいますが、これからもマイペースでやっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
良いお年を!