「あー、今回もよく働いたぜ!」
もう陽もかなり傾いた夕暮れ。セレナグゼナの城下町入口近くの馬屋に馬を預けた後、大通りを大股に歩きながら大きく背伸びをし、バラゴはコキコキと首を鳴らした。
「今回の雇い主は金払いも良かったからなー。おい、このまま飲みに行こうぜ」
背後を歩いてくる仲間達をくるりと振り返り、バラゴは機嫌良さそうににんまりと笑った。が、そのすぐ脇を、歩速もゆるめずにイザークが通り過ぎる。
「俺は遠慮する」
短く言い残し、振り返りもせずに歩いていく。
いつものこととはいえ、あんぐりと口を開けたままその後ろ姿を見送ったバラゴの肩を、傍らに立ったアゴルがぽんぽん、と慰めるように叩いた。
「まだまだ新婚なんだ。許してやれ」
「くっそー。たかが一泊の仕事じゃねえかよ。ちょっとぐらい遅れて帰ったって、ノリコだって怒りゃしねえのによっ!俺らにもちったー気を遣えってんだ。親友だぞ。数々の死闘を一緒にくぐり抜けてきた仲間じゃねえか。−−−おい、アゴル!そういうお前はちゃんと付き合うんだろうなあ?」
「あ、いや、俺も早くジーナをゼーナのところに迎えに行かないと...」
ちゃっと右手を軽く上げて挨拶し、アゴルもそそくさとその場を後にした。
「すまん、バラゴ!また今度な」
肩の荷物を抱え直しながら、たっと軽い足取りで人混みの中に紛れていく。その前を行ったイザークの姿は、とうの昔に消え失せていた。
ひとりぽつんと大通りの真ん中に残され、アゴルがうがあっと忌々しげに声をあげる。
「てめえらぁぁ!ちったーひとりもんの俺も労ってやろうとか思わねえのかーーーっ!」
********
足早に町を抜け、石畳の道を少し郊外にある我が家に向かう。
たった一晩離れていただけなのに、どうしてこうも会いたいと思うのだろう。
通りすがりの隣人達に軽く会釈を返しながら目を上げたイザークは、少し坂を上がった場所にある見慣れた小さな家に灯ったあかりを見て、ふと立ち止まった。
(ノリコ....)
待っている人がいる。
帰る場所がある。
それがどれほど幸福なことか、その灯りを見るたびに身に染みて実感する。
知らず口元に笑みを浮かべ、イザークはさっきよりも足早に家路を急いだ。
「−−−おかえりなさい、イザーク!」
イザークが戸口に立つよりも早く、大きく扉が開き、満面の笑みを浮かべたノリコが夫を出迎えた。
「安易に戸を開けるなといつも言っているのに...」
「だって、イザークだってわかってたもの」
笑みを浮かべながらでは、小言を言ってもあまり効果はない。それに、お互いの気配はたとえ遠くにいてもわかるのだし、再会できて嬉しいノリコの気持ちは心を通してすでに届いているのだから、いたしかたない。
イザークは無言で小さく肩をすくめた。
「ごくろーさまでした、あなた」
中に入り、イザークの肩の荷袋を受け取りながら、いつものようにノリコがくすぐったそうに言う。
溢れる愛しさにそのまま細い肩を抱き寄せようとしたイザークだったが、伸ばした腕をそのまま引っぱられてしまい、わずかに目を見張った。
「疲れたでしょ?座って、座って!」
戸口を入ってすぐの食卓。いつもの定位置である椅子に、イザークの腕をやや強引に引いて座らせ、ノリコはそのまま隣の台所に消えた。
「??」
何事かとイザークが目を見張ったままでいると、すぐに大きな桶を両手で重たそうに抱えたノリコが戻ってきた。反射的に立ち上がって手伝おうとしたイザークを、ノリコがぶんぶんと首を振って制する。
「よいしょっ、と」
イザークの足元に置かれた桶には湯が張られ、そこから香り立つすーっとするハーブの香りがイザークの鼻腔をくすぐった。
「足湯、か?」
「そう!そろそろ帰ってくる頃だと思って準備してたの。さ、靴脱いで!」
桶の傍らにすとんと膝をつき、嬉々とした顔のノリコがイザークの靴を脱がそうと手を伸ばしてくるのを、イザークは慌てて手で制した。
「いい、自分でやる」
一体急にどうしたというのだろう?
ノリコに自分の靴を脱がせるなんてとんでもない。おさまりが悪い気持ちになってその場から逃げ出したくなったイザークだが、どうもこのまま諦めてくれそうにはないと観念し、混乱した表情のままで靴の革紐を解いた。
ズボンの裾を捲りあげ、ノリコに促されるままに、暖かい足湯の中に両足を浸す。
「.....」
昨日から駆け回っていた疲れた足に、適度な温度の湯は驚くほど心地よかった。ハーブの香りを深く吸い込み、イザークは肩を落としてふうっと一息ついた。
その姿を満足そうにみつめて、膝をついた姿勢からぺたんと床に座り込み、ノリコがふふふ、と微笑む。
「今日はね、アニタとロッテニーナと一緒に、町で有名なマッサージ師さんのところへ行ってたの」
「マッサージ師?」
「うん。そこのご主人の息子さんがね、ほかの町での修行を終えて最近セレナグゼナに戻ってきたそうなの。家業を継いだその息子さんがカッコいいって町の女の子の間で評判らしくて、アニタ達が見てみたいって騒いでて−−−−」
何気なく呟かれたノリコの言葉に、イザークの眉がピクリと上がった。
が、イザークの足元に目を落としていたノリコは気づかずに続ける。
「あたしも無理矢理一緒に連れていかれてね。でも、息子さんはひとりじゃない?どっちが先にマッサージをしてもらうかで揉めちゃってね。アニタ達ったら、受付で口論始めちゃって。おかしかったあー」
ぷぷぷ、と右手を口元に当てて思いだし笑いをし、ノリコが顔を上げた。
そして。
真顔で自分を見下ろしているイザークの漆黒の瞳と視線がピタリと合い、はた、と動きを止める。
「イ、イザーク?」
「で−−−マッサージを受けたのか?ノリコも?」
小さな個室に、半裸も同然の格好で横たわり、若い施術師とふたりっきりで。
ノリコの白い肩を、腕を、顔も知らぬ青年の手が上下していく。
(−−−−−−−−−)
勝手に脳裏で想像が暴走していくのを必死で抑えながら、イザークは、敢えて抑揚のない静かな声で問いかけた。
が、内心は少しも心穏やかではない。
ノリコの肌にほかの男が触れると考えただけで、心臓を針で射抜かれるような痛みが襲ってくる。嫌になるほどの嫉妬心が芽生える。
こんな、醜い独占欲など、ノリコには決して気づかれたくはない−−−。
ほんの一瞬の間に、イザークの心をこれほどの葛藤が渦巻いているとはつゆ知らず、ノリコは、イザークに静かに問われた途端に、顔を赤くし、ぶんぶんと勢いよく頭を横に振った。
「や、やだあ〜!あたしはマッサージなんて受けてないよ!アニタとロッテニーナ達の施術が終わるのを待ってる間、受付役をしてた先代の先生に足湯に効果のあるハーブのこととか聞いてただけだよー」
「あ、そうそう!疲れた時には肩たたきも良いんだよって教えてもらったの!」
照れ隠しからか、慌てて立ち上がり、ノリコは素早くイザークの後ろに回った。
「−−−いつも一生懸命働いてくれるイザークの帰りを待ってるだけじゃなくって、何かあたしでもできることないかなってずっと思ってて...。ごくろうさまでした、って言葉だけじゃなくって、こうして何かもっと、労ってあげられないかなって」
言いながら、ノリコは慣れない手つきでトントン、とイザークの肩を叩きはじめた。
「それに−−−」
言いかけて、口ごもる。
照れくさそうにしているノリコの気配を感じ取り、イザークは、椅子の背もたれに深く背を預け、そっと腕を上げてノリコの両手を包むように握った。
先程までの狂おしいほどの嫉妬心は消え去り、余裕が戻っている。
「−−−それに?」
優しく、促す。
「〜〜〜〜〜」
最初は躊躇っていたノリコだが、イザークに手を押さえられたまま、観念したように、朱に染めた顔を伏せながらごにょごにょと呟くように続けた。
「あ、あたしは、イザーク以外の男の人には触られたくないから−−−」
その言葉が終わらぬうちに、イザークの右手が伸び、ノリコの首筋を捉えた。
座った姿勢のままわずかに身体をずらし、ノリコの首筋と頭に添えた指先にわずかに力を入れて、身体ごとかがませる。
近づいてきたノリコの唇に、イザークは下から奪うように口づけた。
少し強引なのに、甘く、優しい口づけ。
ノリコの中を探るようにイザークの舌が動き、それにノリコが応え、ふたりの間で時間の流れが止まる。
気づくと、いつの間にか形勢は逆転し、ノリコは座ったままのイザークの膝に抱きかかえられる形でキスを繰り返していた。
「イザーク....」
ほう、と息をつき、ぼーっとした頭でノリコが呟く。
ノリコの頭と背を右腕で支え、もう一方の手でノリコの頬にそっと触れながら、イザークがゆっくりと伏せていた目を開けた。
「ノリコ」
左手の指先で、愛しい妻の頬をなぞる。
「−−−特別に労ってもらう必要はない。俺はいつも癒されている。ノリコが待つ家に帰ってきて、ノリコの笑顔を見るだけで、俺は、癒されているんだ」
ノリコしか見たことがない、とろけるような優しい笑顔。
何か言いかけたノリコの唇を、イザークは再び熱い口づけで塞いだ。
***************
<あとがき>
.....いやあ。スミマセン。
『迷い子』の続きを書こうと思ってラップトップを開けたんですが、なんか急にこういうほのぼの?したお話が書きたくなってしまい。一気に書いちゃいました。なんか...わけわかんないですよね(汗)失礼。
『迷い子』のほうも、頑張ります。もう少しお待ちくださいませ。
思いがけず、甘くてほっこりしたお話が読めてかなり嬉しいです!待ってました~という感じです。ノリコがマッサージを!?ってちょっと焦りましたけど。イザーク、よかったね(笑)
返信削除すてきなキスシーン、うっとりしちゃいました。癒されるお話をありがとうございます。
もちろん、迷い子の続きも楽しみにしてます。
リョウさん、
削除こんにちは。なんかいきなりのほのぼのエピソードで、ビックリされたでしょうねww
迷い子の第3章も途中までできているのですが、ちょっと詰まっています。ストーリーの大筋はもちろん最初から決まっていますが、細かい部分でちょっと。で、ちょっと逃げちゃった感もありますが、今回のほのぼのも気に入っていただけて良かったです。あっちの世界でマッサージ師がいるかどうかは疑問ですが、どこの世界でも疲れた人にはマッサージしてあげたくなるもんだろうなあ、と思って。ま、お遊びということでお許しくださいませ。
これからもよろしくお願いします。
お話を書くのってすごく大変な作業なんでしょうね。たぶん私には想像できないくらい。
返信削除だから「お遊び」が入るのって全然アリだと思います。いや、むしろ嬉しいです。前回の続きでも、そうでなくとも、新しいお話を心待に、いつも読ませていただいている側としては。
なので、個人的な意見ではありますが、MBirdさまの思うまま書いてくださったら嬉しいです。