2/27/2014

氷の鏡 第3章

「−−−本当に大丈夫か?」

着慣れないカチッとした肩幅のある正装に身を包み、少し居心地悪そうに袖口を整えながら、イザークが顔を上げた。天幕付き寝台の上にちょこんと座ったまま、普段着のノリコがすぐ隣のジーナと両手をつないで、きゃらきゃらと笑う。

「だーいじょうぶだってばー。ジーナと遊んでるほうが楽しいもん。ねー」

「ねー」

10も歳が違うのに、こうしているとまるで同い年の少女のようだ。
顔を見合わせてクスクスと笑うふたりに、イザークは微笑ましく思わずにはいられない。その口元には、軽く笑みが浮かんでいた。

「−−−悪い、待たせたな」

コンコン、と軽く扉を叩く音がして、同じくザーゴ国の正装に身を包んだアゴルが部屋に入ってきた。普段は束ねた金の髪を、今はゆるやかに肩に波打たせている。

父親の声に、ジーナハースがくるりと扉の方に顔を向けた。

「お父さん♡」

「−−−ジーナ、本当に大丈夫か?」

ベッド脇に歩み寄り、ジーナの頭をぽんぽんと叩きながらイザークと同じ台詞を繰り返すアゴルに、ノリコとジーナはまた顔を見合わせてぷっと吹き出した。

「もぉー。どうしてふたりともそんなにあたし達を子供扱いするのぉー。今までだって、ふたりで留守番したこと何度もあるのに」

「だが、こんな異国の地だし−−−」

「−−−−お父さん!」

言いかけるアゴルをぴしりと遮り、ジーナがやけに大人びた表情をみせた。

「あたし達は大丈夫だから!安心して宴に出席してきてくださいっ」


−−−タルメンソンに一行が到着した日の晩。
ザーゴ国使節団のために、歓迎の宴が開かれることになった。

その主賓であるザーゴ国の第二王子ガールが、初めてタルメンソンのサーリヤ王女と対面する場でもある。王子の警備を任されているイザークも、畏まった公式の場が苦手だなどと言っている場合ではなく、きちんと正装しての出席を余儀なくされていた。

が−−−−。

「にしても、あんな伏兵がいるとは思わなかったなあー」

かりかり、と右手の人差し指でこめかみを掻きながら、アゴルが小さく溜息をついた。

本当なら、娘が喜びそうな可愛いドレスを着せて、華やかな宴の場に一緒に参加させてやりたかったのに。当初はその予定で、ザーゴ国からもグローシア達が厳選してくれたドレスを何着も持たせてもらってきていたのに。

「まあ、コーリキ達からも聞いてはいたが、あの溺愛ぶりはすごいよな」

今回の使節団の事実上の総責任者でもあるリヤッカ侍従長は、ガール王子が幼少の頃からそばに仕えてきた人物だ。元々、パロイ国王は前国王の甥であり、ほんの数年前まではナーダが次期国王になると誰もが考えていたため、彼のふたりの息子達は、貴族階級とはいえ、当然『王子』という扱いではなかった。王位継承権はあっても、かなりランクが下だったので、あまり重要視はされていなかったのだが。

それが、『元凶』との戦いが終わり、ケミル右大公の失脚と共に前国王がパロイに王位を譲って引退してしまったため、ガールも急に『王位継承権第2位の王子』に持ち上がってしまった。ガールの幼少からの教育係だったリヤッカは、第二王子付き侍従長の地位に就き、その溺愛ぶりを周囲に広く知られるようになった。

サーリヤ王女との婚姻がうまくまとまれば、ガールが彼女とともにタルメンソンの次期王位に就くことになる。今回の使節団派遣には大乗り気だったリヤッカだが、もちろんイザークの正体を知らされていない彼には、今回の使節団の警備隊がかなりの少人数で、しかもザーゴ国外からの『渡り戦士くずれ』が警備隊長になっていることが、とにかく面白くないらしい。

イザークやアゴル達『よそ者』への対応がやたら冷たく、彼らが同行させてきたノリコやジーナに至っては、『部外者』のレッテルをくっきりと張り、公務の場に出席することを固ーく禁じてしまったのである。ノリコ達の扱いは、ガールの身の回りの世話をするために同行してきた少数の女官達と同レベルだ。もちろん、今夜の歓迎式典への参加もナシ。

「せっかくの華やかな場に、ジーナを連れてってやれないなんてなあ.....」

自慢の娘の喜ぶ顔が見れないことが、アゴルはいたって残念な様子だ。

「もおー、お父さんったら。もういいって言ってるのに...」

いつまでも気にしている父親に、ジーナが呆れたように肩を落とした。

「リヤッカさんはガール様が可愛くてしかたないだけだよ。それに、声が大っきいとことか短絡的なとことか、エルゴ様に似てるから、あたし、あの方が怒鳴ってるのを聞いてると、いつも笑っちゃうの堪えてるの」

「あー確かに。うーん、いやあ、悪い人じゃないのは分かってるんだけどなー」

「アゴルさん」

なかなか納得しないアゴルに、ジーナの隣にいるノリコも、安心させるようにニッコリと笑った。

「あたし達のことは本当に気にしないでください。元々イザークからも、あたし達が出席できない行事があることは聞いていたし、リヤッカさんの言うことにも一理あると思うんです。それに、ここまでイザークやアゴルさん達と一緒に来れただけで、あたしもジーナもとっても幸せなんだもの」

1ヶ月もの間、遠くセレナグゼナからイザークを想って独り過ごすことに比べれば、正式な使節団のメンバーではないという理由で歓迎式典への出席を断られたことなど、ノリコにとっては少しも苦ではない。

心からの笑顔を見せるノリコのそばに立ち、イザークもふっと笑顔になった。

「−−−できるだけ早く戻るが、先に寝ていていいからな」

「はぁーい」

額に軽くキスを受けながら、ノリコはくすぐったそうにふふふっと笑った。


********


「あっ、イザーク!」

大広間はすでに着飾ったタルメンソンの貴族達で埋め尽くされ、宮廷楽団によってテンポの良い音楽が奏でられていた。

遅れて現れたイザーク達の姿をみつけたロンタルナとコーリキが、少し焦ったような笑顔で手招きした。そのすぐ横には、バラゴとバーナダムもいる。

「遅かったじゃないか。リヤッカが目くじら立てて探してたぜ−−−」

「−−−イザークっ!!!」

ロンタルナがそう言い終わるよりも早く、脇からドタドタと足音を響かせながら、小柄ながら恰幅のいい初老の男が走り寄って来た。

「どこで油を売っていたんだ!警備隊長が王子より遅れて登場とはどういうことだっ!」

「あ、いや、リヤッカ侍従長、イザークが遅れてきたのは私のせいで−−−−」

「あんたには聞いとらんっ!王子の警備を任されているのは、この男だろう。歓迎式典という大事な場に、本来なら王子の影として最初からついているべきところを−−−−」

「−−−リヤッカ」

怒りが収まらない様子のリヤッカの背後から、穏やかながらよく通る声がして、怒りに肩を震わせていたリヤッカがハッと息をのんだ。

「ガール様...」

肩までの黒髪、穏やかな瞳。まだ二十歳になったばかりの若さながら、パロイ国王によく似た面差しの大人びた青年が、ゆっくりとした歩調で一同のもとに歩み寄ってきた。

それまで、リヤッカの怒鳴り声にもまったく頓着していない様子だったイザークも、ガールの登場に静かに目を向ける。

「もう、それぐらいに。もうすぐ陛下達もいらっしゃるのに、こういう場で大声を出しているほうが何かと思うよ」

「そ、それはそうですが....」

「−−−少し、外の空気でも吸ってきたらどうだい?」

「は、はあ....」

ガールに窘められて、リヤッカはしゅんと肩を落として席を外した。

「−−−許してやってください。彼に悪気はないのです」

かわいそうになるぐらいトボトボとその場を立ち去ったリヤッカの後ろ姿を見送ってから、イザークに視線を戻し、ガールが心から申し訳なさそうに言った。

「彼は−−−私が父から軽んじられていると思い込んでしまっているんです」

本当は、逆なのに。

「でも、さすがにあなたの正体(こと)は、彼には教えるわけにはいきませんからね」

軽く肩をすくめ、ガールがふっと笑顔になった。
イザークも、まったく気にした様子はなく、軽く頷いてみせる。

「俺のことは気にする必要はない」

「そうだぜえ。イザークは、こういう顔して、ああいうヤツにはしらーっとやり返すのが得意なんだ。大丈夫、大丈夫。ちゃんとどっかで仕返しするって」

イザークの肩に手をかけながら、がはははは、とバラゴが笑う。

うーん、確かに...。と、イザークを知っている一同が揃って無言で頷き、それを見てイザークが何か言いかけたところへ、大広間が一斉にざわめき、奥の玉座のある方角に人々の視線が注目し始めた。

タルメンソン国王一家の登場、だ。

それまで大広間を埋め尽くしていた人混みが、玉座を中心にして、サーッと波が引くように左右に退き、その奥中央に立つ3人の人物の姿が、広間の後方に立っていたイザーク達にも露になった。

ジェイダ左大公よりもずっと年上だろう国王は、金の髪に白髪がだいぶ混ざり、長年の苦労を思わせる深い皺が顔中に刻まれている。その横に寄り添うように立ち、控えめに目を伏せた王妃は、彼よりも随分と若いように見えた。

そして−−−−−。

「ひえぇ.....」

イザークのすぐ横に立っていたバーナダムが、思わず、呟いた。
バラゴも、知らず小さく口笛を吹いている。

周囲を見回さなくても、今、大広間中の人間の視線が集中しているのは、国王と王妃から一歩下がった位置に立つその人物であることは、一目瞭然だった。

(あれが.....)

金...というよりは、銀色の絹糸のようなまっすぐの髪が、腰まで伸びている。王妃によく似た伏し目がちの瞳は深い海の色で、朱色の唇とともに、陶器のように白い肌に怖いぐらいにマッチしていた。

触れると簡単に壊れてしまいそうな−−−雪の結晶を連想させる、そんな、稀に見る美人。

噂には聞いていたが、まさかここまでとは。
あんぐりと口を開けているロンタルナとコーリキに並び、アゴルも静かに感嘆の溜息をついた。

「......」

ふと、気になって。

アゴルがちらり、とそばに立つイザークに目を向けてみると。

おそらく、この広間中で彼ひとりだけだろう。玉座の方向に目を向けてはいるものの、イザークの顔には、ほんのわずかな感嘆の色も見られない。

彼ならば当たり前、とはわかっていつつも、アゴルとしては、彼のその平然とした態度にこそ感嘆せずにはいられなかった。


*****

「−−−さっきのガールの顔ったら!」

玉座前でのサーリヤ王女との初の対面を終えたあと、広間の片隅に集まり、コーリキが、ガール王子の肩に荒っぽく腕を回しながら、楽しそうに声を出して笑った。

先程、玉座の前に整列して国王一家に正式に使節団としての挨拶をした際、いつもは歳よりも落ち着いているガールが、サーリヤ王女と初めて言葉を交わすのに、端からも明らかなほど緊張していたことをからかっている。

「あーんなうわずった声出してるお前を見たのなんて、初めてだよ。なあ、兄さん!」

「ああ。どんな厳しい口答試験もそつなくこなしてきたガールとは思えない緊張ぶりだったな。いやあ、グローシアにぜひ見せてやりたかった!」

「やめてくれ...。彼女に知られたら、一生笑いのネタにされてしまうよ」

数年の歳の差はあるものの、ザーゴでは、ガールと同じ教育院で学んできたというロンタルナとコーリキは、今は王子という立場になった学友にも、変わらず親しげに話しかけている。ふたりがこの旅に参加したのは、ガールの警備というよりも、旧友としてだったに違いない。

「でも、良かったよなあ、婚約者があんな美人でさ!」

「いや、まだ婚約したわけでは....」

「同じようなもんだろ?結局は今回の訪問もお前達のお見合いのためなんだから、お前が気に入ったんだったら、あとは決まったようなもんだよ」

「私の気持ちだけの問題ではないよ。彼女の気持ちもあるし、なにより、私達の個人的な気持ちがどうのというよりも、まずは、今回のタルメンソンからの申し出の真意を測る必要がある。本当に、両国の絆を深めることだけが目的であれば、それに越したことはないんだが...」

「まーだ若いのに、んなかったいことばっか考えてたら疲れんだろ。好きなんだったら、さっさと話をまとめちまえばいいんじゃないのか?それ以外のことは、それから考えればいいじゃねえかよ」

一国の王子を相手に話しているのを認識しているのかどうか。いつもの調子で能天気にガハハと笑うバラゴに、ガールもふっと思わず笑顔になる。

「...そうですね」

「あっ、王子!今がチャンスです!サーリヤ王女がひとりですよっ!」

それまで誰かと話をしていた王女が、ちょうど会話が終わってひとりになったところを目敏くみつけ、バーナダムが嬉しそうに指をさしながらガールの肩を引いて王女のいるほうに向かせた。

「ほら!今夜の主役同士なんだから!ダンスを申し込んできたらどうですか?」

バーナダムに背中を押されて一歩前に出たものの、ガールは、サーリヤ王女に視線を向けたまま、困惑の表情を見せた。いつもは歳よりも落ち着いた態度で自信に満ちているガールが、まるで初な少年のように戸惑っている。

「.....」

助け舟を求めるかように、ガールは、すぐそばに立つイザークに、ちらりと上目遣いに目をやった。

色恋沙汰は、苦手だ。そういうのは、ロンタルナ達に任せておきたいのが正直なところだが、こんな目で見られてはむげにもできない。一瞬考えこんだあと、イザークはふっと目を伏せた。

「以前−−−言われたことがある。欲しいものがあるなら、欲しいと言わねばならない時がある、と。そうしないと、いつ後悔することになるかもしれないから−−−と」

隣にいるアゴルが、その言葉を聞き、イザークを振り返ってふっと笑顔になる。

「そうですよ、王子。難しいことは考えなくてもいいんです。とりあえず、自分の気持ちに正直に行動することのほうが大事ですよ」

この中では最も経験が豊富であるはず?のイザークとアゴルの言葉に背中を押された思いだったのか、ガールは無言でこくりと頷くと、広間の向こう側にいるサーリヤに向かってまっすぐに歩き出した。



「−−−うまく行ってくれるといいな」

しばらくの会話のあと、手を取り合って輪の中心で踊り始めたガールとサーリヤを微笑ましい思いで見守りながら、壁際に立つアゴルが呟く。同じようにふたりに目を向けたまま、壁を背にして立つイザークも軽く頷いた。

「ああ....」

誰しもが、自分の欲しいものを手に出来るわけではない。この世のすべてと引き換えにしても良いと思えるほど大切な存在に出会えるのは、本当に幸運なことなのだろう。

もし、ガールにとってのサーリヤがそうなってくれれば、この政略結婚も、ふたりにとって苦しみではなくなるのだが。

「−−−ところでさ、イザーク」

少し考えこんでしまったイザークの肩を、ぽんっとアゴルが軽く叩いた。

「お前、さっきから、女性陣の熱い視線を浴びてるぞ。踊りに誘ってもらいたがってるみたいだが」

アゴルに言われてイザークが初めて周囲に目を向けてみると、着飾った若い女性達が、そこかしこからこちらに注目していた。頬をうっすらと染め、ヒソヒソとお互いに囁きあいながら、こちらの様子を伺っている。

「でも、お前が怖くてあっちからは近づいてこれんみたいだなー。もっと愛想良くしてやったらどうだ?一応ザーゴの使節団代表なんだぜ、俺達。国交関係向上のために一役買うのも仕事のうちなんじゃねーか?」

バラゴが、すぐそばでニヤニヤと笑っている。そのバラゴとは目も合わさず、イザークはぷい、とそっぽを向いた。

「知らん。俺には関係ない」

「いいじゃねーか、ちょっと踊るぐらい。ノリコだって気にしやしないってー」

「俺は踊らん」

「えっ、でも、ニーナ様達と行動を共にしてた時、すっごい優雅に愛想良く舞を踊ってたって隊長が−−−−−」

言いかけたバーナダムは、すっと静かに顔を向けてきたイザークの射るような眼差しに、ハッと口を閉じた。たじたじ、と後ずさる。

「あ、いえ、なんでもないです....」

無言で視線だけで威嚇され、焦ってわたわたと意味もなく腕を振り、バーナダムはそそくさとその場を撤退した。

「なんだよ、その優雅な舞ってぇのは?俺達も聞いてねーぞ」

アイビスクの国、ステニーの町での一件。
まさかアレフがバーナダム達に話していたとは。

興味津々で身を乗り出しながら聞いてくるバラゴを完全無視しながら、イザークは、ザーゴに戻った際には、必ずアレフに報復しなくては−−−と腕を組んだ。


*****


賑やかな場は、もともと得意ではない。まだまだ終わりそうにない宴の場をそっと離れ、イザークは、大広間から続く広いテラスへと出た。

「.....」

空気が、冷たい。

まだ季節は秋なのに、グゼナやザーゴならば、もう真冬といってもいいぐらいの寒さだ。イザークの口元から、かすかに白い息が漏れた。

硝子扉の向こう、人混みの向こうにいる王子とアゴル達の姿を確認する。港から城へ向かう際にはちらほらと見かけた黒髪の人影も、さすがに、貴族ばかりの広間には見かけられない。その中で、黒髪のガールとバラゴの姿を見つけるのは容易なことだ。

何かあればすぐにも走りこめるように意識は王子達のほうに向けつつ、イザークは、テラスの手すりに後ろ手に両手をついて軽く寄りかかった。その目線は、肩越しに、目前に広がる大きな中庭の向こう側、客室がある西の棟に向けられている。

(ノリコ....)

ふたりに与えられた部屋の窓は城の外壁向きなので、ここからは見えない。

今頃、もう眠りについているのだろうか。
かすかに感じる彼女の気配は、静かで落ち着いている。

「.....」

その脳裏に浮かぶのは、花のようなノリコの笑顔。
イザークの口元に、ふっとやわらかな笑みが浮かんだ−−−−と。

「−−−−なにか用か?」

すっと真顔に戻り、イザークは、テラスの端の暗がりに目をやった。

ほんの一瞬の躊躇のあと、月明かりの中に姿を現したのは、豪奢な紺のドレスに身を包んだサーリヤ王女。無言のままイザークのすぐそばまで静かに歩み寄り、優雅に微笑む。

「イザーク様」

気配は最初から気づいていた。その姿を見ても、少しも驚く様子を見せなかったイザークが、名を呼ばれてわずかに眉を寄せた。

「あんたに名乗った覚えはないが」

対面の場でも、ガールの後ろに控えてはいたが、ロンタルナとコーリキ以外は、リヤッカが『警備隊のメンバー』として手短に紹介したきりだ。手すりからスッと腰を浮かし、イザークがまっすぐに立った。

「−−−すみません。あなたのことは、父から聞いていて...」

その姿にぴったりの、透き通るような声。

「我が国は、『天上鬼』争奪戦には積極的に参加はしておりませんでしたが、闇に心を奪われた者達が父に影響を及ぼし、民を苦しめていたのは確かです。それを見ながら、何もできない無力な我が身を歯痒く思っていました。私は....」

また数歩近づき、サーリヤはイザークの真横に立った。歩みに合わせてふわりと揺れた銀の髪から、見知らぬ花の香りが漂う。

「あの『元凶』を倒したという『天上鬼』に、ずっと、会いたいと思っていたのです」

言いながら、サーリヤは白い右手を静かに持ち上げ、イザークの腕に向かって指先を伸ばした。

「ずっと...会いたかった...」

「−−−−−−−−」

その指先が触れる前に、すっと静かに一歩退いたイザークに避けられ、サーリヤは弾かれたように手を胸元に引き戻した。

「あ−−−−」

拒まれることに慣れていない者らしい、戸惑いの表情。
見上げてくる揺れる瞳を見返すイザークの漆黒の瞳には、なんの感情も浮かばない。

「私は...」

「−−−あんたが興味を持つべきなのは、俺じゃない」

淡々と口にして、イザークはサーリヤの脇をすり抜けた。もう一瞥もしない。

硝子扉を開け、宴の喧騒の中へひとり戻って行くイザークの後ろ姿を、サーリヤは、ただ無言で見送っていた。


**************
<あとがき>

なんか説明臭い章になっちゃってスミマセン。ここからちょっとテンポあがるはず、ですので、根気強くお付き合いいただければ幸いです。

0 件のコメント:

コメントを投稿