10/02/2014

氷の鏡 第9章

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  −−−−−声が聞こえる。

  遠くから。
  愛しい、あの人の声が。

  傷ついている。
  苦しんでいる。

  伝えたい。

  ここにいると。
  すぐそばに、いると。

  伝えたいのに、声にならない。

  声が、届かない...。


****************


「イザーク!!」

ダンダンダンダンッ!と荒々しく扉を叩く音に、イザークはハッと弾かれたように上半身を起こした。

「−−−−−!!」

一瞬、自分がどこにいるのか分かりかねて、息を飲む。

昨夜、着替える気力もなく転がり込むように横になった寝台の上。一睡もできずに天井を見上げて夜を過ごし、明け方になりいつの間にか気を失うように眠ってしまったことを思い出し、イザークは、寝台の上に身を起こした姿勢のままでぐっと拳を握りしめた。

ひどい頭痛−−−最悪の気分だ。

「イザークッ!出てこんかっ!」

ダンッ!と再び扉を叩く音が部屋中に響いた。
続いて飛び込んでくるがなり声と−−−−ほかにも、数人の気配を感じる。

重りを背負ったように気怠い身体を動かし、ゆっくりと寝台から立ち上がって扉に向かおうとしながら、ほんの一瞬、イザークは躊躇ったようにシーツの上に指先を触れたまま動きを止めた。

「.......」

本来であれば、そこには、安らかな寝息を立てているノリコの姿があるべきなのに。

胸を抉られるような痛みをギュッときつく目を閉じることでやり過ごし、イザークは、まだドンドンと激しく叩かれている扉へと歩を進めた。

「−−−−イザーク!」

ゆっくりと引き開けた扉の向こうには、リヤッカを先頭に、バーナダム、バラゴ、アゴル、そして−−−−アゴルに手を引かれた『ジーナ』の姿。

皆の進入を遮るように扉口から半分身体を出した状態で、イザークは、虚ろな視線で一同の視線を受け止めた。

その、憔悴しきった様子に、それまで怒り心頭で声を荒げていたリヤッカも、右手を握りしめて扉を叩いていた姿勢のまま、一瞬、ひるんだ。が、すぐに我に返り、相変わらずのきつい視線をイザークに向ける。

「イ、イザーク!一体、今何時だと思っとるんだ、貴様!朝食に顔を出さないどころか、昼を過ぎてもガール様の元に顔出しもせんとは!今日は特にガール様のご予定がないとはいえ、警備隊長ともあろう者が−−−−−」

「−−−リヤッカ殿」

きりなくがなり立てるリヤッカの肩をぐっと掴み、アゴルが低い声で鋭く制した。

「廊下中に声が響いていますよ。タルメンソンの皆さんにザーゴの内輪揉めだと噂が広まるのは得策ではないでしょう。それに、その王子ご本人が、イザークが病気のノリコのそばについていても構わないと仰ったんですから」

「だからといって、部屋から一歩も出てこんとは−−−−−」

肩を怒らせ、今度はアゴルに向かって噛みつきそうな勢いを見せたリヤッカだったが、アゴル、バーナダム、バラゴの三人に、揃って右手の人差し指で『しーっ!』とやられ、ワナワナと震えながら語尾を飲み込んだ。

くるん、とイザークに向き直る。

「−−−き、今日のところはガール様のご好意に甘えることを許すが、明日は、狩猟の会の打ち合わせと闘技会の練習がある。遅れることは絶対に許さんからなっ!」

悔しそうに言い捨てると、リヤッカは、フンッ、と鼻息も荒く立ち去った。
その姿を呆れたように肩をすくめて見送ってから、仲間達がイザークに向き直る。

「お前が過保護するのはいつものことだがよ。ノリコの調子、そんなに悪いのか?」

「単なる貧血だと思っていたんだが...違うのか?医者を呼んだほうがいいんじゃないのか?」

朝から部屋に閉じこもりっきりのふたりを心配し、口々に声をかける。その気持ちを理解しながらも答えることができずに無表情のまま立ちつくすイザークにしびれを切らしたように、バーナダムがずいっと身を乗り出した。

「−−−俺達だってノリコのことが心配なんだ。見舞わせてくれよ」

「!」

扉にかけたままのイザークの右手に、ぐっと力がこもる。

部屋の中には、もちろんノリコはいない。
入室されれば、異常に気づかれてしまう。今のイザークには、説明ができない。

「イザーク?」

硬直したように動かないイザークの様子を怪訝に思い、バーナダムが眉をひそめた。

「あんた....?」

「−−−−おねえちゃん、寝ちゃってるね」

何か言いかけたバーナダムを遮るように、『ジーナ』が、部屋の内側からひょっこりと顔を出した。イザークのコートの裾を握りしめ、バーナダムに顔を向けてニッコリと笑う。

「皆がワイワイやってる間に、あたし、こっそりお邪魔しちゃった。でも、おねえちゃん、今は寝ちゃってるみたいだよ」

「−−−−−!」

一体いつの間に横をすり抜けたのか。ニコニコと邪気のない笑顔を見せるジーナを見下ろし、イザークがその言葉に一番驚いていた。

「寝てる....?」

「うん。でも、顔見るぐらいならいいんじゃない?ね、おにいちゃん?」

同意を求めてイザークを見上げたその瞳に、一瞬、深い闇のような影が浮かぶ。
ネッサの意図がわからぬまま背後の寝台を振り返ったイザークは、そのまま大きく息を飲んだ。

(−−−−−−−−−!?)

先程まで誰もいなかったはずのその場所に、静かに横たわっているのは。

考えるよりも先に身体が動き、イザークは寝台に駆け寄り、そのすぐそばに両手をついた。

「ノリコ....!」

見間違えるはずがない。

寝台に静かに横たわったその姿は、愛しい妻そのもの。窓から差しこむ陽の光を受けて、明るい栗色の髪と、その睫毛の一本一本までもが輝いてる。

今にも目を開けてこちらを見、微笑みかけてきそうだ。

だが−−−−−。

「−−−−あ、ホントだ。寝ちゃってるなあ」

「オラ、でけぇ声だすんじゃねーよ、お前。ノリコが起きちまうだろうが」

「って言ってるお前が一番声がでかいよ、バラゴ」

扉からお互いを押しのけるように身を乗りだして覗き込んでいた3人は、少し離れた位置からでもノリコの姿を確認できて、安心した様子だった。

「あーーっと....」

「じゃ、俺達はこれでっ!お大事に〜〜〜」

「また明日な」

誰からともなく、少しバツが悪そうにしながら後退を始める。
扉のそばに立ったまま、口元に笑みを貼りつけていた『ジーナ』を見遣り、アゴルがにこりと笑った。

「−−−−ジーナはどうする?」

「あたしは、もうしばらくおにいちゃん達と一緒にいるね」

「わかった。じゃ、あとでな」

ぽんぽん、とジーナの頭を軽く叩いたあと、アゴルは、チラリと寝台のそばに立つイザークに目をやった。が、イザークの目が眠るノリコに釘付けのままであることを確認すると、何も言わずに扉を閉めて退出していった。

******

扉の向こうで、何やら雑談しながら3人の足音が遠のいていく。

その様子を確認した後、ネッサは、今までとはガラリと違う、冷たい笑みを口元に浮かべながら、確かな足取りで寝台のイザークに歩み寄ってきた。

「−−−−どうだ?なかなか良い出来だろう?」

寝台に横たわる『ノリコ』を食い入るようにみつめたまま、イザークは動かない。

その眼差しは、決していつもの愛しさに満ちたものではなく、叫びだしたい衝動を必死に抑えているかのように、顔面蒼白で苦痛に満ちていた。

ゆっくりと寝台から手を離して立ち、イザークはぐっと両の掌を握りしめた。

「......」

アゴル達が寝台のすぐそばまで来ていたら、きっと気づかれていただろう。
横たわる『ノリコ』は、息をしていない。

桜色の爪の指先から額にかかるほつれ毛まで、まるで本物そっくりなのに、『これ』は生きてはいない−−−−ネッサが創り出した、単なる彫像。昨日、中庭でネッサが見せたイザークの幻影と同じモノ、だ。

残酷だ−−−−これは、あまりにも残酷過ぎる。

ノリコではないと頭ではわかっていながら、愛しさのあまり、強く抱きしめたい衝動に駆られる。ノリコ、と声に出して呼びたいのを、イザークは必死に堪えた。

声に出せば、涙が溢れそうだった。

「−−−抱くだけならば、相手をしてやってもよいぞ」

イザークのそばに立ち、ネッサがそっとその左腕に指先で触れた。
握りしめられた拳から覗く薬指の蒼銀の指輪を、物珍しげに人差し指でなぞりながら。

「私が中に入れば、生きているのと変わらぬように動かすこともできる。それほどまでに恋しいのであれば、抱いてみるか?少しは気晴らしになるやもしれぬぞ」

「−−−−−−!!」

幼い少女の口から出ている言葉であればこそ、余計にその邪悪さが強調される。

「....るな」

「何?」

「俺に、触るな...!」

嘲笑を含んで囁かれた言葉に、顔を上げもせず、イザークが喉の奥から絞り出すような 呟きを漏らした。その全身に、カッと怒りに満ちた気が迸る。

「おお、怖い。−−−−冗談だよ」

弾かれたようにサッと素早く身を離し、ジーナの姿をしたネッサが、可笑しそうにクククッと喉を鳴らす。

「残念だが、この娘の力は思っていたよりはるかに強い。この身体に縛られていては、ほかへ意識を飛ばして様子を探ることも適わぬのが厄介だが、今この身体を離れれば、眠る娘の意識が呼び起こされ、二度と入り込む隙はできなくなろう。それでは困るので、な」

呟き、ネッサが細い少女の腕を持ち上げる。

その白い小さな掌をノリコの姿をした幻影にかざした途端、その姿は、あっけないほどあっさりと、ザアッと霧散して消えた。

「......!」

差し込む陽光を反射して、消散した幻影の欠片のような無数の粒子が空中でキラキラと輝く。その様はひどく美しいのに、イザークは胸を抉られるような痛みを覚えて息を飲んだ。

たとえ、ただの幻影とわかっていても。

あの、氷の鏡の向こうに閉じこめられたノリコの姿が脳裏に鮮明に浮かび上がる。
ノリコを失う恐怖−−−痛みを、まざまざと思い知らされる。

(ノリコ.....!)

知らず、指先が震えだす。

固く目を閉じ、両の拳をぎゅっと握りしめて、イザークは必死に恐怖を心から追い払った。脳裏に、あの花のような笑顔を思い浮かべて。

まだ、失ってはいない。

失うものか。

決して諦めない−−−−その手を、離しはしない。

(.......)

目を閉じたまま、イザークはすぅっと静かに深く息をついた。
不思議なほど、心に静寂が戻ってきた。

「あんた−−−−なぜその身体にそこまでこだわる?」

ゆっくりと目を開き、イザークは、すぐそばで輝く空中の粒子を無表情に見上げていたネッサに目をやった。

「あんたの目的は、王家への復讐だけのはずだろう。目的遂行のためには、サーリヤに取り憑いている方が都合がいいんじゃないのか」

ジーナは関係ない。言いかけたイザークをみつめ返し、ネッサは感情の表れない氷のような固い表情のまま、口元に作り笑いを浮かべた。

「−−−だからこの娘を解放しろ、と?」

その姿には不似合いな、ひどく大人びた仕草で軽く肩をすくめる。

「残念だな。そなたがサーリヤに鞍替えしておればそれでも良かったかもしれぬが。今となっては、この娘の姿でそなたをそばで監視しているほうがよほど都合が良い。それに−−−−」

言いかけたネッサの口元に、今度は、意外なほどやわらかな笑みが浮かんだ。

「父親とは、本来あのように暖かいものだとは、な」

「何?」

「この娘の父親−−−アゴルといったか。物腰も穏やかで、そばにいてなんとも居心地が良い。あのように娘を大切に扱う父親もこの世にはいるのだな。...我が父王が、あの半分でも情のある人間であれば、私も、このような思いはせずにすんだものを」

ほんの少し、遠い目をして。

「あの父親の愛に守られて育っていくのは、なんと幸せなことか」

「−−−−それは、あんたに向けられた愛情じゃない」

腹の奥に、再び沸々と怒りが込み上げてくる。
低く呟いたイザークを振り返り、ネッサはにぃっと不敵に笑った。

「私をジーナと思い込んでいる以上、同じことであろう?宿願果たしたのちは、私はこの娘に成り代わり、生きていくことにしただけのこと。あの男に守られて、な」

疎ましい姿のために実の両親にさえ愛されずに育ち、そして最後には命さえ奪われた。
そんな人生など要らない。

「この陽光のような髪と菫色の瞳。類い稀なる占者としての才を持ったこの娘としての人生であれば、さぞかし輝かしい未来が待っているはず。そうであろう?」

復讐を果たし、この国のすべてを血に染めたあとも、この女はジーナを解放するつもりはないのだ。苦しみしか知らなかった過去を捨て、もう一度やり直そうとしている。最初から。

そしてその代償を払わされるのは、今はその意識の奥底に眠る、幼い少女。

「......」

言葉もなく、イザークはギリッと奥歯を噛みしめた。

ゆっくりと向けられた漆黒の瞳の奥に宿る苦痛と憎悪の鋭い光を正面から受け止め、ネッサが不敵な笑みを口元に浮かべる。

「−−−−あと二日、だ」

クククッとかすかな笑い声が響く。

晩秋の穏やかな陽光に包まれた室内は暖かく居心地が良いはずなのに、イザークには、あの薄暗い神殿の中よりも暗く冷えきって感じられた。

ノリコのいない世界の、なんと虚しく色褪せて見えることか。

(ノリコ.....!!)

あと、二日−−−−−。


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<あとがき>

お久しぶりです。
なんか、今回の章は、すべてイザーク達の寝室だけで終わってしまいましたね(汗)
その割に、色っぽい要素はまるでなし。失礼しました...。

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