11/03/2013

もうひとりのイザーク

「−−−私を否定するな!」

ものすごい勢いで髪を掴まれ、その勢いで身体ごとグイッと横に引っ張られた。

短く悲鳴を上げた。ザクッという音と同時に引っ張られていた力が急に失せ、床に投げ出される。

掴まれていた髪の一房をまるごと切りとられたのだと気づくよりも早く、ラチェフの身体が覆い被さるように馬乗りになってきて、ものすごい勢いで、鋭い剣の刃が、すぐ目と鼻の先の床に突き立てられた。

「私を否定するな!」
「私を否定するな!」

呪文のように繰り返される叫び声と共に、頭上から何度も何度も剣が振り下ろされる。

その度に、自分の髪がザクザクとざんばらに切り取られていく。同時に、心の一部が切り裂かれていくようだ。

「−−−−−−−!!」

ラチェフが手にした剣が振り上げられる度に、今度こそ、床ではなく、自分の頭にその刃が振り下ろされる、と覚悟した。

想像を絶する恐怖に、身体だけでなく思考まで凍りつく。泣くどころか震えることさえ許されないような、そんな恐怖に萎縮しきって、ノリコは、胎児のように床にうずくまって目を固く閉じた。

(−−−−イザーク....!!!)


「−−−コ!ノリコっ!」

不意にぐっと背後から力強く抱きしめられ、ノリコはハッと目を覚ました。

月夜だけに照らされた、薄暗い部屋の中。
アイビスクの国。見覚えがあまりないのは、昨夜通されたばかりの、クレアジータ宅の一室だからだ。

が、固くうずくまり、横向きで寝台に寝ている自分を、背後からしっかりと抱きしめている逞しい腕には、覚えがあった。

心臓がまだドキドキしている。
まだうまく状況がつかめないまま、ゆっくりと頭だけを動かし、ノリコは、背後から自分を覗き込んでいる、漆黒の瞳を見上げた。

「...イザ...ク...」

「−−−うなされていた。大丈夫か?」

少女が目覚めたことを確認し、しっかりとその細い肩を抱きしめていた腕の力を緩めつつ、イザークが心配げに呼びかけた。

「何度呼んでも答えないから...心配した」

そんな彼の言葉が聞こえているのかいないのか、じぃっとその瞳をみつめたまま、ノリコは無言でゆっくりと身体を動かし、すぐそばに横たわっている青年のほうに向き直った。

その際、自分の左頬にかかった髪のひとふさに、何気なく手を伸ばす。

「.....」

肩よりも長く伸びた、茶色っぽい自分の髪。
きれいに揃えられている。

あんな、ざんばらのみっともない姿ではない−−−−−−。

「ああ.....」

−−−−夢、だった。すべて。

やっと我に返り、ノリコは、さっと素早くイザークに身を寄せた。その逞しい胸元に、これ以上は無理、というほどギュッと顔を寄せ、目を閉じる。

トクン、トクン、とイザークの心臓の鼓動が聞こえる。
夢じゃない。

「良かったぁ....」

呟きとともに、深い深い溜息が漏れた。

「−−−大丈夫か?」

やっと少女の心が落ち着いてきたことを感じとり、再び呼びかけるイザークの声からも、危惧感が薄れてきた。ギュッとしがみついてくる少女の髪に頬を寄せ、そっと安心させるように抱き寄せる。

イザークの体温と心音が現実であることを体全体で感じようとしているかのように、ピッタリと寄り添ったまま、ノリコが少し戸惑いながら呟く。

「−−−夢を見たの。あの人に捕まって、髪を...切られた日のこと」

「−−−−−−」

ノリコが言い終わるよりも早く、少女を抱きしめるイザークの腕に、ぐっと力がこもった。ノリコの頭に頬を寄せたまま、きつく目を閉じる。

その端正な顔が、翳る。

−−−−エンナマルナから、ラチェフの手によってノリコが連れ去られたあの日。

いなくなった時と同じぐらい唐突に自分の元へ戻ってきた少女は、髪をバラバラに切られ、ひとりシンクロのせいで立ち上がれないほどに衰弱していた。

失踪している間に何が起こったのか、ノリコから大まかに説明は受けたが、単に髪を切られた、という言葉では片付けられない。いかに恐ろしい思いをしたかは、想像するしかない。

何があっても、たとえ化け物になることになっても、この少女だけは守る、と心に決めていたイザークにとって、自分の手の届かない場所で、ノリコをそんな大変な目に遭わせてしまった。それだけで、耐えきれないほどの自責の念に狩られた。

「−−−もう、1年以上も前のことなのにね。もう...『元凶』も、あの人も、この世界にはいないのに」

なぜ今頃になって、急に彼が夢に出てくるのだろう。
昼間、街で見かけた、暗い瞳をした孤児の少年のせいだろうか...。

「ノリコ....」

誰も信じるものか、とでも言いたげな、反抗的な暗い瞳で自分を見た少年のことをぼんやりと思い出していたノリコは、呼びかけたイザークの声が暗く翳っていることに気づいて、ハッと顔を上げた。

−−−あの日、ガーヤ達に髪を切り揃えてもらっている間に、イザークが声を殺して泣いていたのだと、ノリコは、ずいぶん後になってから、アゴルから聞いた。

不可抗力だったことこの上ないのに、優しい彼は、そんなことまで自分のせいだと思ってしまう。

「あ、あの、ごめんね。もう大丈夫だから」

「−−−すまなかった」

焦って、慌てて笑顔を作ってみせたものの、イザークの顔は曇ったままだ。
予想通り、青年に罪悪感を感じさせてしまっていたことを実感し、今度はノリコが眉を歪めた。

「イザーク、イザーク。謝らないで。お願い。イザークのせいじゃないよ」
「ただの夢よ。もう−−−済んだことだし」

「だが−−−」

言いかけるイザークの口を、ノリコはそっと両手の指先で押さえた。
今度は、心から、にこっと笑ってみせる。

「ほんとに。もう、やめようね」

「それに、あたし、もう、あの人のこと、なんとも思ってないよ」
「だって、彼も...哀しい人だったし...」

『元凶』との最後の戦いの際、ノリコは、ラチェフの凍てついた心の奥に隠されていた、暗い過去を垣間見た。

(お前さえいなければ−−−−)

母親に否定され、誰にも頼ることもできずに生きてきた彼の孤独感、飢餓感、欠落感は、イザークにも伝わったはずだ。

彼の行いは、決して赦されるべきではないかもしれないが、彼の過去には、イザークのそれに通じるところがあった。

とても辛い思いをさせられた相手ではあったけれど、ノリコには、彼がもうひとりのイザークのような気がしてならなかった。

「ノリコ」と出会うことがなかった、もうひとりのイザーク。

−−−最後に、彼を救ってあげることはできなかったけれど、いつか、彼が自分で光への道をみつけてきてくれることを、今は祈るしかない。

「......」

言葉にはしなかったが、ノリコのそんな気持ちは、イザークにも伝わっていたのだろう。

イザークの唇に指先を当てたまま、少し遠い目をしたノリコを見るイザークが、ふっと目を細めた。

自分の唇にそっと添えられたノリコの手を、自分の両手でそれぞれ包みこんで、顔から離す。ノリコの瞳をじっと覗き込んだままで、イザークはゆっくりと身体を起こし、ノリコの両手を、少女の両肩の位置にそっと置いた。

手は、離さない。

「ノリコ....」

真上から、見下ろす。
深い、闇のように漆黒の瞳−−−−。

「イザー.....」

少女の呟きは、次の瞬間、イザークからの熱い口づけでかき消された。

*********

あとがき:

私的には、実はラチェフも好きなタイプです。彼には、もうちょっと頑張ってノリコを誘拐したままでいて、イザークをやきもきさせてほしかったな...なんて思ってしまうのは、私がサドなんだろうか??

でも、この髪を切られるシーンは、きっと本当はもっと怖いものだったんじゃないかな、と思っていたので、こんな形になりました。はい。

2 件のコメント:

  1. とんがりコーン2019年4月12日 20:38

    あとがきに激しく共感します!
    ノリコの服が破れてたりしたら、イザーク正気を保てなかったんじゃなかろうかと妄想しています。(いや、もう正気じゃなかったですけどね)

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    1. とんがりコーンさん、コメント、今頃見ました。すみません。
      あの髪を切り落とされるシーン、少女漫画だから髪で済みましたけど、本来なら、強姦だったとしてもおかしくないシーンですよね。そう思って読むとすごい怖い。

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