10/20/2017

郷愁

「−−−典子、なにボーッとしてるの?遅れるわよ」

その言葉にハッと我に帰り、ノリコは顔をあげた。

「あ...」

いつもの食卓。

すぐ右隣には、お味噌汁をずずずーっと音を立ててかきこんでる兄の姿。きっと一限目には間に合わない。

向かい側では、おじいちゃんが焼き魚をニコニコしながらゆっくりとつついていて、その隣では、広げた新聞をコーヒー片手に読んでるお父さん。

「もう、典子ったら!今日はひろみちゃん達と学校行く前に文房具屋さんに寄るって言ってなかった?文化祭で必要なもの、あるんでしょ?」

カウンターの向こう、台所で料理をしながら振り返るお母さん。
フライパンでお父さんの目玉焼きを焼いてるジューッという音と、いろんなものが混じった美味しそうな匂い。

ああ、そうだ。

穏やかな、朝のはじまり。

制服姿で椅子に座っている自分に気づき、ノリコは、ホッとすると同時に、なぜかひどく違和感を覚えた。

いつもと変わらない食卓。家族の姿。

何の変哲もない見慣れた風景のはずなのに、なぜかしっくりこない。

どこから見ても正しいピースのはずなのに、ほんのわずかな違いのせいで、どうしてもうまくハマらないジクソーパズルを無理に押し込もうとしているような感覚に、ノリコは、右手の箸と左手に持ったご飯茶碗をじーっと凝視した。

「典子、お前まーた夢でも見てるのか?」

食事を終えてふぅっと一息ついた兄が、からかうような視線を向けてくる。
まだ少しボーッとした頭で、ノリコはこくんと小さく頷いた。

−−−あれは、夢?

「うん...そうかも」

「−−−どんな夢だったんだい?」

向かいのおじいちゃんの声。

ゆっくりと視線を上げて彼の穏やかな笑顔に視線を移し、ノリコはもう一度小さく頷いた。

「なんかね、とても優しい夢だったよ」

言葉が、するりと喉から滑り出す。

「こことは全然違う異世界ファンタジーの設定でね。こう、空の色とか、同じなんだけど何だかちょっと違う濃い青で。馬とかもいるんだけど、ちょっと頭の形が鹿みたいに丸っこくて可愛くって。そこにいる人達もどう見ても日本人じゃない異国の姿で、しかも言葉が通じないから、最初は意思疎通に苦労したりなんかして」

「おお。そりゃ興味深いなぁ!」

それまで新聞を読んでいた父親が、自分の専門分野だとばかりに身を乗り出してきた。家族だけなのに、まるで講習でもしているようにやけに声が大きいのはいつものこと。

SF小説家の父に視線を移し、ノリコは続ける。

「−−−それで、私は『目覚め』って呼ばれる存在で、その力を利用しようとするいろんな悪人達から追いかけられるんだけど、すごい超能力を持った『天上鬼』と呼ばれる人が現れて、私をいつも守ってくれるの」

「あら、素敵じゃない❤️典子、お姫様みたいね」

うふふ、とくすぐったそうに笑うのは、いつも能天気なお母さん。
その言葉に、兄がわざと大げさに肩をすくめる。

「そりゃあ、間違いなく夢だな。お前、また夜更かしして漫画でも読んでたんだろ」

「でも、素敵な夢よねー」

「そもそも、典子はヒロインってキャラじゃないだろ。ファンタジー物の主役級のキャラクターは、常に美人で尋常でない何らかの特殊能力を持ってたりするんだから、典子みたいな普通の高校生が張れる役じゃないって」

ハハハハハ、と明るく笑う兄につられて、ノリコも笑ってしまう。

「やっぱり、そうだよね。あたしじゃ役不足よね」

別に卑下するわけでもなく、本気でそう思って、ノリコは軽く笑った。

兄が言う通り、いつも読んでるファンタジーやSF小説や漫画のヒロインは、類い稀なる美貌と稀有な能力を兼ね備えていて、文句のつけようもなくカッコ良い主人公に救出されて、惚れられて当然のスペックだ。

自分のような、無力で何の変哲もないフツーの女子高生がそんなヒロインになれるのは、やっぱり夢の中でしかないのだ。

そういえば、前にひろみ達にも同じようなことを言われたっけ。

自嘲気味にへへへ、と笑いながらご飯に箸をつけたノリコのそばに立ち、お母さんがぽん、と優しく肩に手を置いた。

「−−−で?その『天上鬼』っていう人は、かっこよかったの?」

興味津々、というよりは、ノリコを元気づけようとしているような、そんな口調。

「うん」

気遣わしげな母を見やり、ノリコはにこりと目を細めて笑った。

「とてもとても、カッコ良い人だったよ。すらりとした長身で、サラサラの長い髪で...。動作がとても優雅なの。超能力者ですごい剣の使い手なんだけど、戦うことが嫌いで、誰よりも心優しいの。見ず知らずの人を助けるために、いつも黙って自分が嫌な役を買って出るような、そんな人で−−−」

単に夢の登場人物なだけのはずなのに、話し始めると、途端に脳裏にその姿が鮮明に浮かんできて、ノリコは自分で驚きを隠せなかった。まるで何年も長い長い夢を見ていたかのように、「彼」にまつわるエピソードがいくつもいくつも脳裏に浮かんでは消えていく。

「一緒に旅をして、追われて、何度も離れ離れになって...。もうダメだって何度も思ったのに、それでも必ず最後にはいつもそばにいてくれて−−−彼のそばにいると、とても安心できたの」

『ノリコ』

脳裏にくっきりと浮かぶ、穏やかな笑顔。


「あたし、すぐに彼を好きになった...」

呟いた途端、ポロッと涙がこぼれた。

彼と過ごした日々が、そのすべてが、夢だったなんて。もう、会えないなんて−−−−。

(......!)

自分でも信じられないような熱い想いがどっと堰を切ったように涙と一緒に溢れ出してきて、ノリコはお茶碗を食卓に戻し、両手で顔を覆った。

「おいおいおいっ!」

「ちょっと、お兄ちゃん!あなたがからかうから...!」

「いや、あの、その...わ−−、典子、泣くなってば!ただの夢の話だろー?!」

たしなめる母や焦る兄の声が、ひどく遠くに聞こえ、現実味がない。

そして何よりも、もう二度とあの切れ長の漆黒の瞳にみつめられることはないんだという事実に胸を押し潰されそうになって、ノリコは息をするのも苦しくなった。

「イザーク...」

魔法の呪文のように、知らず呟いた彼の名が、てのひらの隙間からこぼれた。

(イザーク!イザーク!イザーク!!)

−−−夢でもいい。

もう一度、会いたい...。

(イザーク...!)



ふと、周囲の音が搔き消える。

水中にいるような、ボーッとした感覚。




「−−−コ...!ノリコ...!」

遠くから、呼ぶ声。

水の向こうから呼ばれているかのように、ひどく遠い−−−。

(誰?)

誰でもいい。
そっとしておいて。

胸を押し潰されるような苦しさに、このまま小さく縮んでしまいたい。
「彼」のいない世界で生きるなんて、耐えられない。
それぐらいならいっそ、このまま消えてなったほうがよほどマシだ−−−。

「−−−リコ!」

そのまま暗い海の底にでも沈んでいってしまいたいぐらいの重いノリコの気持ちとは裏腹に、どんどん急速に水面に近づいていくように、くぐもった呼び声が、急速に耳元でクリアになっていった。

「−−−ノリコ!」

鮮明な声で名を呼ばれ、肩を掴まれる。

ハッと、ノリコは目を覚ました。

「−−−!!」

ガバッと上半身を起こし、周囲を見回す。

「ここは−−−?!」

最初に目に入ったのは、真っ暗な夜空を埋めつくす、満天の星。
すぐそばには、小さな焚き火。
小高い丘の上の、野営地。

他には誰もいない−−−「彼」を除いては。

「ノリコ?大丈夫か?」

気遣わしげな声に呼ばれ、ノリコは恐る恐る隣の人影を振り返った。
素早く振り返れなかったのは、これがまた夢だったら...と怖くなったから。

「イザーク....」

自分でもそれと分かるほど、ホッと安堵した声が漏れた。

「−−−大丈夫か?悪い夢でも見たのか?」

虚ろな表情のノリコの頰を伝った涙を指先でそっと拭いとってやりながら、イザークは幼子をあやすような優しげな表情を浮かべた。

「最初はニコニコしてたのに、途中から急に泣き出すから驚いた。無理に起こしてすまなかったな」

「イザーク!」

「お、おい....」

ぼーっとしていたかと思ったら、急に飛びつくような勢いで抱きつかれ、イザークが目を丸くする。が、心細げにかすかに肩を震わすノリコの不安を察して、それ以上は何も訊かず、ただ黙ってその細い肩を抱きしめた。

イザークの存在が夢ではなかったと実感できた頃、ノリコは、イザークの腰にしっかりと腕を回したままで、ポツリポツリと夢の内容を話しはじめた。



家族との食卓。
懐かしい日々。

イザークとの日々が夢だったと思って、悲しくなってしまったこと。



「....なんで今頃こんな夢見ちゃったんだろうね」

「.......」

イザークの胸に顔を埋めたまま話すノリコは、その間ずっと、まるで泣きそうにも見える複雑な表情で宙を見つめていたイザークには気付かない。

「---でも、ホント良かった、これが夢で!」

へへへ、と笑って、抱きついたまま、ノリコが顔をあげる。
その目尻には、まだ少し涙が残っていた。

「...野宿なんかしたせいだな」

寝心地の悪い地面で寝付いたせいで、以前の、追われていた日々を無意識に思い出したのかもしれない。言葉もわからず、毎日が不安で、「うちに帰りたい」と泣いていたあの頃のことを。

ノリコの涙をまるで自分のせいのように受け止め、小さく苦笑いして呟くイザークに、ノリコは慌ててぶんぶんと首を振った。

「違うっ!違うよ、イザーク!次の街まで十分行けたのに、代わりにここで野宿しようって言ったのはあたしだし!」

イザークが何を考えているのか気づいて、ノリコは慌てた。

違う。そうじゃない。

「...追われてたあの頃と違って、今はホントに平和だし、こうして星空を眺めながら二人っきりで夜を過ごすのもロマンチックよね、って言ったのはあたし....」

「ノリコ....」

この世界に初めて飛ばされた時は、向こうの世界の家族を夢に見て、寂しくなったこともあった。

どうしているだろう?いつかまた会えるのだろうか?と考えたことも幾度もある。

会いたい、と思うことに罪悪感を感じる必要はないと知っている。

「そりゃ、家族だもん....思い出すことはあるよ。会いたいって思うのは自然だってわかってる.....」

でも今は、夢の中でさえ、イザークとのことがすべて夢だったと思った途端、世界が終わったように苦しくなった。

イザークと二度と会えないと思うだけで、息ができない。

「夢で家族に会えて嬉しかったけど−−−。でも、だからこそ、あたしは、この世界に残るべくして残ったんだってわかったの」

「.......」


「あたし、やっぱりイザークのいない世界では生きていけないみたい」

テヘヘ、と笑うノリコ。

イザークは、少し複雑な笑みを口元に浮かべた。

「....夢でよかったぁ.....」

イザークの返事を待たず、再びその大きな胸に顔を寄せ、ノリコがぽつりと呟く。

ほっと安堵の溜息をついたかと思うと、次の瞬間、イザークに寄りかかる体の重みが増し、そのままスーッと彼女の呼吸は静かな寝息に変わった。

その顔には、安心しきった幼子のような笑みが浮かんでいる。

「...........」

安堵すると、寝入ってしまう昔からのノリコの癖。

突然寝ながら泣き出したかと思えば、今度は嬉しそうに微笑んでいる。

ーーー夢で良かった。

いつものことながら、妻に振り回されっぱなしの自身に苦笑する思いで、やや呆気に取られながら、イザークがかすかに息をついた。

「−−−それはこちらの台詞だ」

腕の中、安心した様子でぐっすりと眠るノリコの存在を確かめるように肩を抱きしめながら、満天の星を仰ぎ、イザークはポツリとひとりごちた。



**********************
<あとがき>

うわー、なんか、すっごく久しぶりですね。まだ待っててくださった方っているのだろうか??

実は、1か月ほど前に、このお話、ほぼ書き終わってたんです。でも、最後の部分を仕上げる前に仕事がまた佳境に入ってしまって、今日まで放置してました。スミマセン。

また、わけのわからない短編です。新婚旅行がてら、南方面に旅を始めたふたりのある一夜、です。

3 件のコメント:

  1. 待ってました!
    チマチマチェックしてて。更新されててビックリ!嬉しかったです。

    これからも静かーに待ってます(何気にファンです)

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    1. Kobutaさん、
      コメントありがとうございます。私も、読んでいただけて嬉しいです。これからもよろしくお願いいたします。

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  2. 待ってましたよ!!

    初めまして。
    でも、ずっとチェックしていました。
    背景がもみじになっていたので、どきっとしました。
    案の定、新しいお話でとっても嬉しかったです。

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